日本史

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本当の忠臣蔵

つまらない話だと思っていた忠臣蔵の真実を知ったら、感動に変わりました。
映画・ドラマ

大河ドラマ「麒麟が来る」と渋沢栄一のこと

渋沢栄一はロスチャイルドに援助されて日本を発展させた人だそうです。
映画・ドラマ

お墓参りで迎えてくれた明智光秀は、優しくていい感じの人

今年の大河ドラマ『麒麟がくる』は明智光秀が主人公で、楽しんで見ています。昨日は、斎藤道三が殺された時に道三についていたので、城落ちして逃げるという話でした。
日本史

古事記と日本書紀はどうやって作られたか

柿本人麿が稗田阿礼という名前で「古事記」を書き、太安万侶が「日本書紀」を執筆しましたが、二人は監禁されていました。
日本史

須佐之男命の両親は、イザナギ・イザナミではない

徐福(須佐之男命)とその一行は中国から出雲へやって来てイザナギ・イザナミの子孫である2王(大国主命と事代主命)を殺害し乱暴狼藉を働きましたから、両親がイザナギ・イザナミだというのはおかしな話です。
神社仏閣

出雲口伝とは

島根県の熊野大社は、出雲国一の宮です。 熊野大社の祭礼の時には、全国から出雲族が集まって各地の出来事を報告したそうです。 この情報が、出雲では今現在まで口伝で伝承されています。
日本史

ヒミコはヤマトにも九州にもいた

安芸の埃(え)ノ宮で没した宇佐豊玉姫(ヒミコ)の遺体は、アキの宮島に、仮埋葬された。そのあとで宇佐神宮に遺骨が移され、二ノ御殿に宇佐王家の先祖神とともに祭られた。
神社仏閣

出雲口伝によると、東北の安倍一族は出雲族だった

安倍王国はさらに北へ北へと追われ、国名を「日高見(ひたかみ)国」「日之元津(ひのもとつ)国」「日本之(ひのもとの)国」「荒覇吐(アラハバキ)王国」などと変えたのを、大和朝廷が「日本」と真似ました。これが日本の国名のはじまりです。
神社仏閣

出雲口伝による神武の東征。それが海幸彦山幸彦のお話にされました

兄の五十猛の子孫(海部氏、尾張氏)と弟のヒコホホデミの子孫(物部氏)が関西で争って、物部氏が勝って大王になったことをおとぎ話にしてあります。海幸彦は海部氏のこと、山幸彦は物部氏のことです。
神社仏閣

出雲口伝によると、桃太郎とスサノオが退治した鬼とヤマタノオロチは出雲王国のこと

吉備王国の出雲侵攻がはじまり、出雲は滅ぼされました。この時の吉備津彦の出雲攻めが、桃太郎の話になりました。桃太郎が征伐した鬼というのは出雲のことです。
神社仏閣

出雲口伝による、八坂神社のはじまり

海部氏が、先祖のスサノオとイソタケ(五十猛)を祀りました。これが姫路の広峯(ひろみね)神社のはじまりです。広峯神社から綾戸国中(あやとくなか)神社、梛(なぎ)神社を経てだったと思いますが、京都の東山へと神霊が移されました。
神社仏閣

葛城と三輪山を中心としたヤマトに、丹波勢と出雲勢の連合王国が成立

徐福(スサノオ)の子である五十猛(イソタケ、カゴヤマ)の子の天村雲(アメノムラクモ)は、数年かけて丹波の人々を葛城周辺へ移住させ、出雲族よりも丹波の人々が多くなったので初代ヤマト王になりました。
神社仏閣

出雲口伝による、大神神社のはじまり

出雲から三島(高槻市)、葛城へと移住した事代主の子のクシヒカタは、出雲の太陽の女神と父の事代主(大物主)を三輪山に祀りました。これが大神(おおみわ)神社のはじまりです。
神社仏閣

出雲の伝承によると、天皇は物部氏

徐福=スサノオ=火明=饒速日(ニギハヤヒ)です。徐福の北九州の妻の子がヒコホホデミで、物部(もののべ)氏の先祖です。天皇は、ヒコホホデミの子孫で物部氏です。
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出雲の伝承によると、天皇家の先祖は天照大神ではなくてスサノオ

天皇は、明治になるまで伊勢神宮にひとりも参拝したことがありませんでしたが、天照大神が先祖ならばそれは異常なことだと思います。でも先祖ではなくて、天皇家が散々抑圧してきた出雲の神なのだから当然のことだったわけです。
神社仏閣

出雲大社宮司家は、大国主と事代主を殺し出雲大社を乗っ取った

徐福(スサノオ、ホアカリ)は丹後にいた時に部下の穂日(ホヒ)に命じて、大国主(8代オオナムチの八千矛(やちほこ))と事代主(8代スクナヒコの八重波津身(やえなみつみ))を同時に暗殺しました。穂日の子孫が、今現在の出雲大社宮司家です。
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出雲の伝承によると、ヤマタノオロチとは出雲のこと

徐福(スサノオ)は道教の方士でした。徐福たちの一行は出雲の信仰を嫌い、竜神の飾りを切って回りました。また出雲族の家に押し入って、出雲の女性たちに自分達の子供を生ませました。
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出雲の伝承によると、徐福は、記紀でスサノオと書かれました

徐福は日本では、ホアカリ(火明)と名のりました。ホアカリは、丹後の天橋立の北側にある、籠(この)神社や尾張一ノ宮の真清田(ますみだ)神社のご祭神で、海部(あま)一族や尾張一族の先祖です。
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出雲の伝承によると、大国主と事代主は記紀の創作名でした

出雲の王制は2王制で、ひとりは主王のオオナモチ、もうひとりは副王でスクナヒコです。オオナモチとスクナヒコは役職名で、個人名ではありません。
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出雲の伝承によると、出雲族はインドにいました

インドへ侵入したアーリア人から逃れて、バイカル湖経由でアムール川を下り「いかだで」北海道から日本へ入ったそうです。
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