公園で咲いていた、ジンチョウゲです。
ツラン(今のアフガニスタンあたり)からバイカル湖畔を経由して、1万数千年前から少しずつやって来ていた日本人は縄文人として生活していました。
そこへ3000年位前に出雲族が到着し、出雲族が日本で最初に王制をはじめました。
出雲の王制は2王制で、ひとりは主王のオオナモチ、もうひとりは副王でスクナヒコです。
オオナモチとスクナヒコは役職名で、個人名ではありません。
出雲の王家もふたつあり、当主が年長の方が主王になり、年下の方は副王になりました。
その王家の片方は現在の神魂(かもす)神社に、もう一方は現在の出雲市に王宮がありました。
八代オオナモチの個人名が八千矛(やちほこ)で、八千矛のことを記紀では大国主と呼んでいます。
八代スクナヒコが八重波津身(やえなみつみ)で、記紀では事代主(ことしろぬし)や少彦名(すくなひこな)と書かれています。
大国主と事代主は記紀の創作名だということですが、有名になっていてこの方がわかりやすいので、出雲王家の子孫の方も大国主と事代主と書くことにしていますから私もそうしようと思います。
オオナモチ6代目オミツヌの孫アタカタスが筑前国(今の福岡県)で宗形家を興しました。
アタカタスの娘が、宗形三姉妹です。
宗像大社ご祭神の、田心(たごり)姫、市杵島(いちきしま)姫(弁才天)、多伎津(たぎつ)姫です。
田心姫は7代オオナモチ・天之冬衣(あめのふゆきぬ)の后になって、八重波津身(事代主)を生みました。
多伎津姫は8代オオナモチ(八千矛・大国主)の后になって、アジスキタカ彦と美良姫を生みました。
須勢理(すせり)姫は、記紀が作った架空の人物だそうです。
そして紀元前219年頃、記紀でスサノオと呼ばれている人物が出雲に到着し、市杵島姫はその妻になりました。
この記事は、次の本を読んで書きました。超おすすめ本です。