出雲の伝承によると、徐福は、記紀でスサノオと書かれました

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公園で咲いていた、小彼岸桜です。(湘南のソメイヨシノはまだ1分咲きです)

 

 

ツラン(今のアフガニスタンあたり)からバイカル湖畔を経由して、1万数千年前から少しずつやって来ていた日本人は縄文人として生活していました。

そこへ3000年位前に出雲族が到着し、出雲族が日本で最初に王制をはじめました。

日本人のルーツは、バイカル湖経由のツラン文明
地球最古の文明はシュメールだと言われています。けれどこれは違っていることがわかっているそうで、シュメール以前があるのだけれども、今現在はそれがどこの何人かがわからないのだそうです。
出雲の伝承によると、出雲族はインドにいました
インドへ侵入したアーリア人から逃れて、バイカル湖経由でアムール川を下り「いかだで」北海道から日本へ入ったそうです。
出雲の伝承によると、大国主と事代主は記紀の創作名でした
出雲の王制は2王制で、ひとりは主王のオオナモチ、もうひとりは副王でスクナヒコです。オオナモチとスクナヒコは役職名で、個人名ではありません。

 

 

中国の秦(しん)の国に滅ぼされた斉(せい)という国出身で、始皇帝の臣下に徐福(じょふく)という人がいました。

徐福は、始皇帝のために不老不死の薬を取りに行くと言って、数千人の童男童女を連れて東方に船出しました。

着いたところが出雲で、出雲の二王、オオナモチとスクナヒコの許可を得て上陸し、だんだんと東へと移住して丹波国を支配しました。

 

 

徐福は、後に記紀でスサノオと書かれました。

一緒に来た数千人の童男童女は、大阪の住吉大社のご祭神として祀られています。

 

 

徐福は日本では、ホアカリ(火明)と名のりました。

ホアカリは、丹後の天橋立の北側にある、籠(この)神社や尾張一ノ宮の真清田(ますみだ)神社のご祭神で、海部(あま)一族や尾張一族の先祖です。

 

 

徐福はまた、大国主(八代オオナモチ)の娘である高照姫を妻に迎えて、五十猛(イソタケ)をもうけました。

五十猛は、和歌山県の伊太祁曽(いたきそ)神社や静岡県の来宮(きのみや)神社のご祭神です。

五十猛は、カゴヤマ(香語山)とも名のりました。

記紀では、五十猛はスサノオと一緒に日本中に木を植えて回ったと書いてありますが、そういうことはなかったようです。

つづきます。

 

 

この記事は、次の本を読んで書きました。超おすすめ本です。

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