公園で咲いていた、オニユリです。
水子霊との会話の様子をご紹介しています。
前々回と前回の記事はこちらです。


2回目の供養 2013年春
【私】前回の供養の時に、あなた様を非難するような人達は可哀相な人だと思ってくださいと話しました。
そのことはおできになられましたか?
【水子さん】それができたらこの世の人から良い人だと思われるでしょうが、私はまだできないでいますから、悲しいのです。
人からどう思われるかは考えなくてもいいのですよ。
ご自分が幸せになるかどうかです。
人を非難してくるような人達は、以前に何かつらい目や苦しい目に遭っていて、その苦しみからのがれることができないから、人を非難するのだと思います。
そう思うことができますか?
私が人を非難しないのならいいことができると思うようですが、そのような人達が私を非難するのが今までに何度もありましたから、もう嫌で嫌でかなわないという気持でいっぱいです。
そのような人達が今までに幸せなことばかりだったら、あなた様のことを非難するようになったと思われますか?
それでは何が幸せかがわからないと思います。
非難することが幸せだからしているのでしょう。
あなた様は、人を非難する時に心の奥から幸せですか?
そうしないで済む方が幸せではありませんか?
それでは私が幸せになる為には、人を非難しない方がいいと言うわけですね。
そうです。
あなた様を非難してくる人も、本当はそうなのですが、自分で気づいていないのだと思います。
非難しなければ幸せなのに、非難するから不幸せになってもっと非難してしまうのだと思います。
そう思いませんか?
私が非難しなければあのような人達がいなくなると言いましたね。
そうですよ。
ただ、非難しない方がいいからとか、非難してはいけないからという理由ではいけないんです。
自然に非難する気持がなくならないといけません。
その為に、相手の人の心の中をよく考えていただきたいのです。
非難しない方が幸せなのに、そのことがわからないのです。
それが苦しみだということにも気づいていないのです。
非難するようになったのは、きっと何かの苦しみがあって、どうしたら幸せに考えられるかがわからなくて非難しているのです。
それが可哀相だと思いませんか?
私が人情家ならそう考えたかもしれないと思いましたが、そうではなかったから気がつかなかったように思いますが、これからはそうかと思うことにしようと思います。
今、非難する人たちのことを思い出してみてください。
可哀相だと思えますか?
私が非難するから非難してくるのかとも思いました。
それはいけません。
人を非難したい気持になるのですか?
それは何か苦しいことがあったからではありませんか?
私が非難しなければいいのだと思ったから、もうやめようと思います。
それで幸せになるのかどうかを確かめたいと思います。
わかりました。
確かめてくださいね。
つづきます。