鎌倉市腰越の小動(こゆるぎ)神社(祭神・須佐之男命他)で、まだ咲いていたアジサイです。
少し前に、神仏へのお願いの仕方でとてもいいお手本を紹介させていただきました。
神仏への祈りやその他の祈りで、声に出した方がいいのですかという質問をよくいただきます。
自分次第で好きなようにされていいと思うのですが、自分が祈る側とすると心の中で言葉を言うよりもほんのわずかでも自分に聴こえる程度の小さな声でも出した方が、しっかりと意志が表現できる気がします。
それを外から見たり聞いたりした場合・・・、やはりその通りになっているように思います。
私はよく外で霊や神と話しながら、ノートに書いたりノートパソコンに入力したりすることがありました。
自分としては現実に隣に座っている誰かと話すのと同じ感覚のつもりでいますが、いざ隣に関係のない人が座ってその人がさらに隣の人と話していると、私はうるさくて苦痛で仕方がありません。
自分では何ともなく普通のつもりでいましたが、そうではなかったみたいでした。
ものすごくデリケートで鋭敏な感覚で聴き取っているので、隣で普通に会話されると自分の会話が聴き取れなくなります。
現実の声がうるさいというよりも、想念がうるさいんです。
たぶん声のボリュームではなくて想念のボリュームなのですが、想念のボリュームが大きいと声も自然に大きくなるみたいです。
だから人が数人でそばに来ると、本を読んだりするには全く支障がない程度の会話でも、あきらめて他へ移るようにしています。
ということは、人が声に出す時には自分でも気づかないうちに想念を強く集中して前へ送り出しているように思います。
その想念の集中が、受け取る側にはわかりやすくなると思います。
今までの経験上、犬でも霊でも私が心の裏側でぼんやり感じている程度のことはうまく受け取れないようでしたが、夢の中に入り込んだようにはっきりと思い描いたことは、犬も霊も自分で考えたことのように簡単に受け取ってくれている感じがしました。
最近ちょっとしたきっかけでそばに霊が来て私を観察しているのがわかり、仕事に支障が出て困ったのですが、相手はわかってくれませんでした。
それではっきりと言葉に出してお願いすると、すぐにいなくなってくれました。
祈りもそうだと思います。
言葉は、霊的にはうるさくてものすごくパワーがあります。
神仏への祈りは守護霊団が聴いていて、現実に動いてくれるのは守護霊団という場合も多いので、余計のこと小さくてもいいから声に出した方がいいと思います。