公園で咲いていた、ロベリアです。
以前にブログで書かせていただいたことがある「波瀾万丈の人」が亡くなられていたことを、今日、知りました。
発見された時には廊下で倒れていたそうで、長い苦しみを経験することなく亡くなられたように思いました。
ちょうど隣に居合わせて一緒に話を聞いていた人は、ショックだと言っていました。
私は、以前話をしてから2回程顔を合わせましたが、話し込むことはありませんでした。
次に話をする機会があったら「死んだら会いたい人にも会えますよ」と言おうと思っていたのですが、言う必要はなかったようです。
少し波動を合わせてみたら、気分すっきりという感じで幸せそうでした。
会いたくても会えなくてつらかった人にも、もう会ったのだなと思いました。
「嫌な人はいませんか?」
「そんな人はいないよ。みんないい人達ばかりだ。こんなに幸せならもっと早く死んでいれば良かったと思うけど、自分でそんなことしてたらこんな幸せはなかったと思う」
この世で残された人は、死んでさぞかし悔しいだろうとか残念だろうとか不吉だとか思いがちですが、大体の善良な感覚の人の場合はこんな感じだろうと思います。
死んだ人は、残された人が自分が死んだことで苦しんでいると、苦にしたり悲しんだりしていることが多いと思います。
死んだ人が死んで喜んでいるのか何か苦しんでいるのか、それも自分の本当の気持に静かに耳を傾けると、敏感な人ならわかるかもしれないと思います。