3月22日に亡くなった犬のナッツ(チワワ・16歳)との、亡くなってから9日目の会話です。
昼と夜の散歩の時はずっと、ナッツが通ったコースを、ここで匂いかいだねなどと言いながら歩いています。
お母さんの代わりになる人がいる
ナッツは私がトイレに入ると確認しに来たりして、あんなにひと時も離れていられなかったのに、寂しくないんだろうか、大丈夫なんだろうかと心配になります。
でも様子をうかがうと、何ともなく静かにしているような感じがするので、本当に不思議です。
私ひとりを信頼していたのは、犬にとっては不自然なことだったんだろうと思います。
たくさんの仲間がいて、仲間達といつも一緒にいる方が、自然で安心できるんでしょう。
その仲間が、あっという間にできてしまっているのがすごい。
私ひとりだけといて、少しのことで寂しく感じているよりも、今の方がナッツにとって幸せならそれがいいと思います。
それでもどうしても心配になって、ナッツに聞いてみました。
「ナッツは大丈夫なの?」
「大丈夫なんだ。」
「楽しいの?
寂しくないの?」
「楽しいんだ。」
「誰かお母さんの代わりになる人がいるの?」
「いるんだ。」
「人がいるの?」
「いないんだ。」
「犬なの?」
「そうなんだ。」
「犬が親切にしてくれてお母さんの代わりになってくれるの?」
「そうなんだ。」
「そうなの。
それでナッツは全然寂しくないんだね。」
「そうなんだ。」
「それならナッツのことを心配する必要はないんだね。」
ナッツが今のところへ引っ越して来て数年間位に歩いていた道へ、散歩に行こうかと思っていました。
ところが、散歩に出ようとすると最近気に入っていたコースの方へ行く気持が強く起こって来ました。
これはナッツの気持なんだろうと思って、最近のコースの方へ行きました。
散歩以外はほとんどナッツの存在を感じなくなってきましたが、散歩はずっと続くのか、そのうち感じなくなるでしょうか?
10年前にナッツが来てしばらくすると犬との一体感の強さがわかり、ナッツがいなくなると辛そうだなあとずっと恐れていたのでした。
それがこうして実現して、やっぱりかなりの衝撃を受けていると思います。
でも10年間恐れ続ける程のものだったかな~。
怖がって損したかもしれません。
画像は、鎌倉市腰越、小動(こゆるぎ)神社(祭神・須佐之男命他)の桜です。