最近知り合った人から身の上話を聞くことになり、その内容が大変で、昨日は須佐之男さんとそのことについて話すだけで終わってしまいました。
私の親と同年代の人で、普段のご相談でお話を聞いている人たちよりも波瀾万丈の度合いが激しいと思いました。
そのどん底具合は、100000人中100000番目位かなあ・・・。
年代が古いと、不幸もすごいです。
いろいろな人の話を聞いていて思うようになったのは、人それぞれいくらか心の強靱さに強い弱いはありますが、そんなに違わないということです。
学校の成績みたいな物事の理解度や能力差などよりも、もっと心の傷については差が少ない気がします。
だから誰にとっても苦しみは同じだから、こんな波瀾万丈の人だから特別に鈍感なのではないかなどと思わないで涙ぐんでいたら、その人は涙を流しながらどんどん話を続けて行きました。
よくそれで精神の病気にならなかったなあと感心していたのですが、それがこの人の強さかもしれないと思いました。
時代が進むにつれて世の中は良くなっているから、何とかしてみたらどうかと話しましたが、それはできないと言われました。
言葉の随所に古い価値観があって、それが変えられずにいるのがわかりました。
今こうして時間を共有して話も涙も共有しているのに、その人は別世界にいるようでした。
次元が違うというのは、こういうことなのだなあと思いました。
子供時代のとても不幸なことがすべてのスタートだったようなので、やはりそうなのだなあと思いました。
その人の大切で有意義な(光になった義朝さん式だとすべて幸せだった)人生を尊重しながら、ちょこっとだけでもできることがあればできたらいいけれどと思いました。
写真は、公園の紅葉です。