亡き作曲家とのやり取りは、毎日続いています。
彼は待ってくれているから、先に供養中の音楽家の続きを行うと、その人は成仏できなかったので、日を置いてまた供養をすることになりました。
1.2.3.の過去記事はこちらです。
不成仏霊については、こちらで書きました。
作曲家の彼とインナーチャイルドセラピー
作曲家の彼とは、インナーチャイルドセラピーをしました。
お母さんとの関係が出てきて、ワークをしてもらうと、すんなり癒されてくれました。
すると彼は、草原に4~5人の女性が現れたと言いました。
けれどもその女性たちが、まだ行けない(成仏できない)ようなことを言ったので、後からもう一度セラピーを行うことにしました。
インターネットで調べていると、彼の人生が大変だったことがわかってきました。
それでまたあれこれとカウンセリングで話した後、彼の顔写真を見たら、涙が出てきて号泣になりました。
「泣かせてくれ。」
「そんな大変なところにいた人がまだ来ないのを、みんな待ってるよ。
モーツァルトも作曲家の先輩たちも、あいつはまだ来ないねって心配してるよ。」
「そうなのか。
行きたいと思うのだけれど、どうしようかと迷ってしまうのだ。
これが執着というものだろうか。」
「何を迷ってるの?」
「私はこれまで色々なことを経験させられてきたということが、あなたの言葉で納得ができたのだけれども、私が今までしてきたことが何も役に立たなかったのではないかと思えばもうだめになりそうな気持になる。」
「何の役に立ってると思ってたの?」
「それは人類の。」
「人類のどう役に立ってると思ってたの?」
「私は人の道を歩まなかった気がする。」
「人の道を歩まなかった気がするの?」
「そうだ。」
「生きてる時は人の道を歩んでると思っていた?
世の中がああだから、仕方がなかった?
常識を信じてた?」
「私が嫌だと言えば、他の人が楯突いたと言って報告するだろうから、何も言えないでいた。」
「嫌だったの?」
「嫌だったのは当然だが、嫌でも嫌でないようにやらなければいけなかった。」
「それで心の通りにしなかったら苦しんだ?」
「そうではないと言いたいのか?」
「葛藤したほどじゃないと思った。」
「それはそうだ。」
「葛藤することも出来なかったと言いたいの。」
「それが大切なことなのか。」
「葛藤できたら、葛藤できる自由がある。
でもあなたには、葛藤する自由もなかったと言ってるの。」
涙々。
「そうなのだ。
私は変な人間だったのだが、変だと気づくことは悪なのだから知らないようにしていた。」
「そう。
もう自由に感じていいんだけど、あまり自由に感じると苦しいのかな。」
「そうなのか。
それが私の執着なのか。」
彼は、自分が何に執着していたのかがわかってきました。
ここから2回目のセラピーに入りました。
つづきます。
画像は、公園で紅くなっていた、サルスベリです。