昨日は、価値あることに邪魔がかかることをお話ししましたが、そのひとつに人からの反対というのがあります。
邪魔をする存在に利用されやすいのは、利己的な人が多いと思います。
「そんなことはしなくていい」(して欲しくない。自分の心の平和かかき乱されるから)
「家族の迷惑だ」(もっと自分に奉仕してほしい。自分の相手をしてくれる時間がなくなる)
「どうしてあなたがしないといけないの」(自分のことだけ考えていればいい)
というような言葉で反対して来ることが多いかなあと思います。
そうではなくて、自分にはよくわからないから行動の理由を聞いてくるというのは、反対ではないと思います。
今まで、世の中や人から与えられるばかりの生活をしていた人が、内面の成長が進んで徐々に奉仕的な生活へ向かい始めると、まだ受動的な生活をするのが当り前の人達からこういう反応を受け取りやすいと思います。
そこで迷っていると、どんどん反対が強くなって迷いも強くなってあきらめてしまう人もいると思います。
それが、ちょうどそういうところにいる人の、乗り越えるべき課題なのだろうと思います。
たぶん、自立への課題も一緒にやっているのだろうと思います。
成長するということは、「みんなと同じ」から卒業することでもあります。
うんと過去には「みんなと同じ」になることが成長だったと思いますが、その課題が達成されてしばらくすると、今度はそこから離れるのが課題になってきます。
そこから成長するのをやめてしまう人も多いと思いますが、人と同じかどうか人の賛同があるかどうかに関わらず自分が良いと思うことを貫く姿勢があるかどうかが問われているのが、邪魔にかかられた場面であると言えると思います。
先祖供養を始めたら3日目におばあちゃんとお話ができて、4日目にはお父様ともお話ができた方が、その後供養中に涙が流れたそうでした。
それで、おとといは供養の時の涙のことをお話ししたのでした。
霊の涙もろさは、オーエンの 霊界通信 ベールの彼方の生活〈第2巻〉「天界の高地」篇 の中でもその様子が書かれています。
※ この記事は、守護霊と共同で思考するタイプのチャネリングで書きました。
10月16日の先祖供養についての記事から、ずっとこの方法で書いています。
霊界の構造についての記事は、私がひとりで考えて書きました。
このタイプのチャネリングは、作品作りをする人が自分でも知らないでよくやっている方法です。
私は知っていてやっているので思考を深く共有しながらなるべく守護霊に任せるように意識していますから、集中が途切れると、ついさっきまで何を考えていてその先をどう書き進めていくつもりだったのかがわからなくなって、脳波を下げて守護霊と波動を合わせる時間がしばらく必要になります。
自分で考えているようでも、実は守護霊が中心になって考えているからです。
写真は、公園のタイワンハゼです。