公園で五分咲きになっていた、ミモザです。
少し前の記事で、何かを終わりにして変化しようとしている時に、周りの人が、変化や破壊はやめて我慢した方がいいと言うかもしれないと書きました。
その理由は、世の中から批判されるから、変化や破壊は悪いことだから、また変化が恐いから変化しないでいてもらいたいだけかもしれません。
いずれにせよ、本人にとって何がいいかよりも、世の中や自分が変化を受け入れたくないということだと思いますとも書きました。
※ その記事はこちらです。

周囲の人がこういった反応をするのは、その人にとっては周りの人の動向が自分に影響を与えると感じているからだと思います。
人のことが自分にまったく影響しないのなら、人がどうしようが何ともないのに、自分と同じようにしてほしいのですね。
これは、「自分は世界だ」とわかっているからこその気持です。
誰でも自覚できていなくても、「自分は世界だ」と言われても全然信じられなくても、自分は世界だと知っているのです。
自分自身が「自分は世界だ」とすでに知っているのに、頭で気づいていないだけです。
※ 「自分が世界だ」ということについての記事はこちらです。


目で見えることは、いったい本当のことのうち何パーセント位のものなのでしょう。
意識と潜在意識の割合は、1対10位というのが大体の意見のようですが、もしかしたら目に見えていることと真実の割合も1対10位かもっとなのかもしれません。
このことを、クラリオン星人のコンタクティであるマウリッツオ・カヴァーロさんは、「クラリオン星人から日本人へ 緊急ハートサポート」の中でこういう風に説明しています。
「私たちが目にするもの、精神による結晶化プロセスを通じて「輪郭」が生じるもの、物質と呼ばれているもの・・・そのようなすべてが、実際には存在していないのです。
中略。
形状や構造などで実体を見極めようとしているものなら何でも、人間の脳によって歪曲され変質してしまったイメージでしかありません。
限定的な意識しか持たない人間の脳は、マルチユニバースの周波数と波動に備わった非常に高い密度を書き換えてしまい、すべてを膠着化した輪郭の青白い影へと変換してしまうのです。」
ということを、感じるのが悟りです。
このことを感じられないことを、結晶化(訳注では、無限の世界に結界を設けること)とか輪郭とかの言葉で説明しています。
そして人間の脳が書き換えを行うという表現をしています。
私としては、パラパラまんがが動画に見えるのと同じようなことと言いたいと思います。
目に見えていることが真実ではないということは、悟ると感覚としてわかりますが、悟らなくても誰でもそれ以前から、かなり強力に無意識的に実行してしまっているんです。
「自分は世界だ」と言ってみたら、何だか気持がいいと思いませんか?
「自分は世界だ」と言われても頭では理解できない、でも誰でも本当はずっとそうだと知っていて感じているのだと思います。
自分が何を感じているかが、わかりにくいだけ。
※ 自分が何を感じているかがわかる方法は、こちらに書きましたから、日ごろから練習しているといいと思います。


