公園の広場をお散歩中のナッツです。
今回は悪にどう対応すればいいのかを考えてみたいと書いたのですが、その前にもう少し書いておきたいことがありました。
支配したい人は、自分は子供で弱いと感じているから、自分は強くて弱くないと思いたくて、人(自然なども)を支配したがります。
それは、人にもっと愛されたがったり、人にもっと認められたがったりするのも同じことです。
でも本当は自分はすでに神で完璧なのだから、自分は子供で弱いというのは幻想です。
それは、物質的な現実を見てとらわれて、自分は子供で弱いと思い込んでいるということです。
いつでも大人で強いのに、この世の現実はそうではないように迫ってくるように見えるので、幻想を信じて苦しんでいます。
それをどう確かめたらいいのかがわからないでいるので、人に頼ろうとしています。
自分で感じるのではなくて、人に頼って教えてもらいたがっています。
自分は子供で弱いと思い込んで、自分で感じることが信用できなくなっています。
それで人を支配することで、やはり自分は子供で弱いのではないはずだと確かめたがっています。
でも人を必要としているから、いつまでも心の奥に何か違うという感覚があって安らげないのです。
本当は自分は神なので、自分一人で誰も必要とせず、すでに安らいでいます。
その場所へチューニングができないで、現実の見た目(物質という幻想)が本当だと信じて、自分は子供で弱いと思い込んでしまうのが子供の状態です。
この気持は、悟りで逆転をはじめます。
悟りは、この世の現実が幻想だとわかる感覚のことだからです。
誰でも神で、すでに全てを持っているのが本当の自分だということをよく知っています。
でもこの世の現実はそうではないように見えるからおかしい、支配をしたら(愛されたら、認められたら等)自分の強さが証明できるはずだ、でもそれでは何かが違っているように感じて安らげない。
それで、もっともっととなります。
これが際限のない物質や支配への欲望の理由で、物質文明全体がこうなっています。
感覚的に納得ができないことだけがわかっているのですが、どうしたらうまく行くのかがわからないでいます。
つづきます。
同じ広場の中を30分以上もうろうろしていたので、リードを手離して木の根に座って待っていることにしたら、ナッツもじっとして私の顔を見て動かなくなりました。
「お母さんと一緒がいいの?」
「嫌なんだ。(お母さんは嫌だと思ってるんだ)」
「そうじゃないよ。そうするといいかと思ったんだけど、ナッツは嫌だったんだね。お母さんと一緒がいいの?」
「そうなんだ。」
だそうでした。