公園で、どんぐりがなっていました。
前回は、地球規模の悪と言えるイルミナティについて書きましたが、悪に対しては自分の中の悪に対してもこんな大きな悪に対しても、基本的には同じように考えていいと思います。
イルミナティの悪は、高度な知恵をよく理解できなくて誤解しているということも原因にあるようなので、そこのところをちゃんと理解するだけで「違ってました。もうやめます」と気づいてくれて悪ではなくなってしまうかもしれませんが、それは置いておいて悪についてだけ考えたいと思います。
イルミナティの悪の理由を探ってみると、「自分達は選民だから支配する」というのが基本のところにあるように思います。
悪の理由を探る時は、思いついた理由に対して、さらにその理由を探って行きます。
自分達は選民だから支配する理由を探ってみると、自分達は選民だと思いたいのですね。(実際にそうだと主張しているようですが)
選民だと思いたい理由を探ってみると、選ばれたい、特別扱いされたい、つまり愛されたいのですね。
ということは、愛してくれる神や親がいて、自分は愛される子供になっています。
神や親が与えてくれる存在で、自分は与えてもらう存在だから神や親がいないと困ります。
神や親からの愛情争奪戦をやっているわけです。
そして支配したいのですね。
支配したい理由を探ってみると、支配することで自分は愛情争奪戦に勝った、偉い強い愛されるに値する、愛されるに値するから偉い強いと確認しているのですね。
自分は弱いから愛されたいという恐怖が根底にあるので、その弱さを、支配することで弱くない強いと思いたいわけですね。
自分の思い通りに振る舞って他の人達を自分達の好きなようにすることで、やはり自分は強い、こんなに強いから子供ではない大人だと思いたいわけですね。
そうやって、支配されてくれる人達に決定権を明け渡しています。(ここが重要なのです!本当に力を持っているのは支配されている側です)
支配されてくれる人達が支配されてくれることで、自分は偉い大人のはずだと確認しています。
支配されてくれる人達がいなければ、自分は弱くて与えられる必要のある子供になってしまいます。
そのことを直視したくないので、ずっと支配し続けていないといけません。
結局のところ、愛されたがりで愛することのできない子供の心理なのでした。
自分が愛することができるようになったら両手にいっぱいどころかあふれ出て仕方がない愛を、そんなことが自分にもできることに気づかないので、人から奪い取ることで自分の不安をごまかしているわけでした。
自分は子供で弱い、だから愛されたい与えてもらうしかない奪い取るしかないと信じているからです。
そんな哀しさが理解できてきました。
でもこういう気持は、誰もが子供のころに多かれ少なかれ体験してきたのではないかと思います。
ここを乗り越える要領がうまくつかめないでいると、人それぞれ性格によっては、こういう選択に走ってしまうこともあるのではないかと思います。
他の選択肢としては、愛されたくていい子になる、愛されたくて可愛くなる、愛されたくて人にサービスする、愛されたくて反抗する、愛されたくてトラブルを起す、問題への直面を避けて笑いでごまかす、邪魔にならないように気配を消すなどがありますが、そういった様々な表現のひとつとも言えるのではないかと思いました。
次回は、この人達にどう対応すればいいのかを考えてみたいと思います。