死んだら終りという考えの父が亡くなり、「死んだんか~」と言ってきました

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ありがとう!!ありがとう!!ありがとう~!!


今年の夏の後半に、認知症だった父が90歳で亡くなりました。

残された家族の誰にも、大きな悲しみはなかったと思います。

15年近く前に認知症になり、私のことが誰かもわからなくなって行きましたから、そのころからすでに亡くなっていたというような感覚です。

最後は、誤嚥(ごえん)性肺炎でした。

 

亡くなって最初の言葉は「ありがとう」

亡くなる前日、私はひとりで病院へ面会に行って、父が眠っているのをしばらく見て帰りました。

起きても私のことが誰かはわかりませんから、起こす必要はありませんでした。

 


次の日の明け方に病院からの電話を受けて駆けつけ、母と2人で死亡診断に立ち会いました。

病室で、昨日同じ場所で父親が寝ているのを見守ったことを思い出していたら、「ありがとう」と聞こえました。

父は非常に愛想良しで、毎日何10回も誰彼ともなく「ありがとう!」と言っていたので、まだ認知症だったのか亡くなったらすぐに正常になっていたのかはわかりません。

亡くなると、体の病気はすべて治ります。

 


父が亡くなってからは毎日、供養をしました。

亡くなった当日と次の日は、いつもの先祖供養のついでに名前を呼んだだけでしたが、何だかクラクラするので、3日目には位牌の代わりとして卒塔婆(そとば。お墓に立っている板のミニチュア版)に名前を書いて入魂しました。

そして父親だけを個別に供養していると、「死んだんか~」と聞こえてきました。

自分の名前の卒塔婆を見て、死んでいることがはっきりとわかったみたいです。

 


最後に「えらい上手やな」と供養をほめられました。

35年近く、ほぼ毎日やってますからね。

父が死んでいることや、これから49日(仏教式)50日(神道式)はこの世をウロウロしていいけど、その後は霊界で立派に生きてください、それが成仏ですと話しました。

ゲップが何度も出ました。

浄化の時に、よくゲップが出ます。

この日以来、供養はずっと個別でしました。

 


4日目には、元気になったのでこの世の生活に戻りたいけれど、それができないことにとまどっていることがわかりました。

向こうからは見えるけれど、こちらからは見えないことを不思議に思っているのも伝わってきました。

もう父はあの世にいるので、こちらでは生活できないことを話しました。

 


読経はのどが苦しい感じが少しあるけれど、ひどくはありません。

でもこのごろ、部屋のライトのヒモが切れたり、足の裏が小さく切れたみたいで痛かったり、手を小さくケガしたり、少しずつ困ったことが起こるので、父親の心の状態が不安定なんだろうと思いました。

 


7日目、肉体を火葬してなくなったことを父に話したら、少し寂しいけど今の方がいいと思っているようでした。

この世よりも、あの世の方が快適だと思うようになったようです。

母が樹木葬にしたがっているので父に聞いてみたら、「普通がいい」と言いました。

両親が関西から関東へ来てから、関西のお墓は処分してしまっていました。

母は料金の安さで樹木葬を希望していましたが、調べてみると、こじんまりとしたお墓なら価格は変わらないことがわかり、すんなり意見を変えてくれました。

 


8日目(初七日)、供養していると「これがええ。お坊さんよりも豪華に感じるわ」と聞こえました。

 


12日目、お墓のことで問い合わせの電話している最中に、2つ目のライトが壊れました。

ひとつ目のライトは修理中で、2つ目のライトはメーカーに電話してみるともう使えないと言われたので、すぐに新しいものを買ってきました。

やはり父の気持が、まだ不安定なのかなと思いました。

 


14日目、父は、私たちがお墓を探しているのを見て、やっぱり死んでるんだなあと思っているようでした。

供養は、少しだけ軽くなった感じがしました。

死の自覚ができてきたからなのかな。

 


21日目、お墓の見学に行って来ました。

清潔感のあるきれいなところだったので、申し込むことにしました。

お墓のことを考えるとワクワクしていたので、先祖や父が喜んでるんだろうと思いました。

けれど、帰ってきてから体がだるくて眠くてどうしようもなくなり耐えられなくなってきたので、お墓で体に憑いた霊に供養をしたら良くなりました。

こんなんで、これから大丈夫かな~と心配になりました・・・。

 


24日目、父はこの世で人気者だったけれど、精神的なことは全く興味がなかったので、霊的に成長できていないとやっぱりだめなんだなあと考えていたら、みんなが自分を思ってくれていることを喜んでいました。

 


25日目に、食べ物の出し方を教えてあげましたが、上手にできないようでした。

こうやってこうやってと、なぜか教えることができて不思議でした。

霊は、欲しい物を何でも自分で出すことができますが、新米霊だとうまくできなさそうでした。

もしかしたら、49日・50日が終るとできるようになるんでしょうか。

 


26日目は、甘い物を買ってきて供えました。

 


30日目までで、毎日の個別供養は終りにしました。

悪くはないけれど少し良くない、不成仏の状態が続いています。

もう49日・50日まではこのままなんじゃないかと思いました。

個別の供養は時々で、先祖全体と一緒についで供養をしながら、49日・50日が過ぎたらどうなるのか様子を見ていくことにしようと思います。

 


父はごく普通の感じの人で、死んだら終りという考えでした。

でも現実に死なないことがわかって、戸惑っている最中という感じです。

これから、こういう普通の感じの人がどの位で成仏できるのか、観察したいと思います。

 

中学3年で、同居していた祖母が亡くなった時には、49日・50日までは時々気配を感じていました。

霊能者の師が亡くなった時もそうでした。

でも今回は、全然感じません。

毎日供養をして、こちらから様子を確認しているからなのかな?

 

画像は、公園で咲いていた彼岸花です。

 

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