公園で咲いていた、ラベンダーです。
依存や執着はしないほうがいいと言って、それ自体をやめるだけでは、問題解決になっていません。
それではただふたをしただけで、ふたをはずせばまた依存や執着をしてしまいます。
依存や執着をしたいという気持を抑えつけることで、さらに心にストレスが生まれて、いつも緊張をしていることになります。
ふたをするのにエネルギーを使うので、本当に必要なところにエネルギーを使うことができなくなります。
それが不自然な考え方や行動につながって、生きにくいということになります。
なぜその依存や執着が出てきたのか、それを探る必要があります。
問題を未解決にしたままにしているから、依存や執着が起こってきます。
依存や執着を感じたら、ここに問題があるよまだ満たされていないよという自分からのサインだと思いましょう。
依存や執着は、自分は何かが足りなくて満たされていないという気持から起こります。
満たされていないのが愛情という場合は、もっとお母さんや人から愛されたいのだと思います。
でもそれは勘違いです。
お母さんから充分に愛された人は、自分は愛されるべき存在だと教えられたので自分で自分を愛することに疑問を感じません。
だから自分で自分を愛しています。
それで自分から愛され足りているので、依存や執着をしないんです。
お母さんから愛され足りないと感じている人は、自分は愛されるべき存在だとしっかりと教えてもらっていないので、自分で自分を愛することに疑問を感じてしまいます。
それでもっと人から愛されたがり、人に依存や執着をします。
お母さんや人が愛してくれないと自分の価値を信じられないと思っていますが、本当は自分で自分を愛せばいいんです。
自分から愛され足りていないので、人のせいだと勘違いして依存や執着をします。
自分が自分の主(あるじ)だということが、まだわかっていないんです。
生きづらさの原因がすべてこの通りだとは言えませんが、この状態にあてはまっている人は多いんじゃないかと思います。
自分は愛されるべき存在だとお母さんからしっかりと教えてもらえなかったことは悲しいこと(これもカルマの結果のひとつ)ですが、大人になった今なら、自分の意志で自分を愛することができます。