昨日は冬至でしたね。
それで今日、先程、今年も蘇民将来(そみんしょうらい)のしめ縄を、玄関に取り付けました。
去年の12月30日に、蘇民将来のしめ縄を取り付けて須佐之男命について、こんな事を書きました。
「写真は、今日取り付けたしめ縄です。
武塔神(むとうのかみ)又は牛頭天王(ごずてんのう)は裕福な巨旦将来(こたんしょうらい)に宿を請いましたが断わられました。
貧乏な蘇民将来(そみんしょうらい)がもてなしました。
武塔神又は牛頭天王(どちらも須佐之男命)は蘇民将来之子孫と書いた茅の輪や木札をつければ疫病から守ると言い、そうでない家は滅ぼしてしまいました。
疫病から守ってもらう為というわけではありませんが、毎年、伊勢から買って1年間つけています。」
次の日の12月31日には、「須佐之男命にまつわる諸説」としてこんな記事を書きました。
「蘇民将来(そみんしょうらい)のお話を書きましたが、蘇民将来も巨旦将来(こたんしょうらい)もアイヌ風で朝鮮風の名前ですね。
須佐之男命は朝鮮半島のソシモリというところから来たと言われています。
蘇民将来のお話がモーゼの過ぎ越しの祭りにそっくりで、ソシモリの前はユダヤ系ではないかという人もいます。
須佐之男命は八幡の神と言う人もあります。
八幡の神については、私は中野幡能(なかのはたよし)さんの、秦(はた)一族が元々持っていた母子信仰が起源という説が感覚的にピンと来ていて、鶴岡八幡宮のパンフレットの中でもその説が書かれていました。
その母子の子が、須佐之男命だという説です。
その母子の子は弥勒(みろく)信仰とも結びついていて、母子としては聖母マリアとキリストと重なります。
また大本教では、須佐之男命が弥勒だと言っています。
八幡宮は秦一族の氏神で、秦一族を讃える「いやはた」→「弥秦」→「八幡(やはた)」となって行ったという説があります。
また「ヤハウエ」が「八幡(やはた)」に変化したという説もあります。
秦一族は景教徒(キリスト教のユダヤ人)という説があります。
須佐之男命はヤハウエだという説もあります。
また、須佐之男命は牛頭天王(ごずてんのう)であり、牛の神と見られています。
キリスト教はバアルという牛神信仰を弾圧しましたが、これはキリスト教の内部紛争だと見る説があります。
これらのことはどれも確定ではなく「一説」でしかありませんし、こういったことは後から間違っていたとなることが多いような気がしますが、昨日、蘇民将来のお話について書いたので、今のところこういうことが言われているということも書いておこうと思いました。
本人に聴けばいいのかもしれないなあと、今、はじめて思いましたが、教えてくれるかどうかわかりません。」
そして次の日の元旦に、須佐之男さんの方からあっさり教えてくれたことを、1月15日に「須佐之男命の正体」という題で書きました。
「それが須佐之男の正体と言えばどう思うかと言おう。」
「何ということを言われるのですか。
それが須佐之男さんの正体なのですか?」
「それであろうの。」
「もうびっくりして身体が震えそうです。」
「震えてはおらぬではないか。」
「心が震えています。」
「それであろうの。
そのようなスケールの大きな話になれば、どうしたら良いかがわからぬ程であろうの。」
「須佐之男さん、涙が出て来そうです。」
「恐いのであろうの。」
「そうです。」
「もう嫌だという案配であろうの。」
「そうです。」
「もうやめておこう。
ショックが大きすぎたようだの。
もう涙が流れるようだの。」
「そうです。」
「それ程恐ろしいか。」
「わかりません。」
「わからぬからであろうの。」
「そうかもしれません。」
「もう嫌であるからやめていただきたいと言うのであればそうしよう。」
「はい。
心の準備をしてから聴きます。」
「それであろうの。
それが良いと申そう。」
「はい。」
その内容についていろいろと話したり調べたりしてみましたが、どうも突拍子もないことではない感じなので、今年はまた出版の年になりそうです。
「多次元生活」は3冊分位内容がたまっているのですが、3冊しっかり作るのか省略して1~2冊にしてしまうのか、これから考えて編集作業に入ろうと思います。」
それで今日まで1年間、須佐之男さんの正体を追いかけ続ました。
後半は読書ばかりしていたので、あっと言う間に時間が過ぎて行きました。
いろんなことがわかればわかる程、それではあれはどうなのかこれはどうなのかと疑問も次々に出てくるので、全然調査が終わらず広がって行くばかりです。
須佐之男さんはみんなにアナウンスする為に私と話しているのではなくて、私の守護神として私と話しているのだからと言って、個人的な会話しかしてくれません。
私がこうですか?と尋ねて正しければ「その通りであるぞ」と教えてくれますが、間違っていたら教えてはくれないで、「まだ調べねばならぬ」と言われます。
だから読みまくり調べまくっています。
私が知るにつれて少しずつ、いろんなことがわかってきていますが、まだまだ辻褄がうまく合わないことがたくさんあります。
早く公開したくて仕方がないんですが、今の状態では穴だらけのボロボロなので、一応基礎部分だけでもできてから出版したいと思っています。(祈ららの有料メンバーズブログと会報では全て公開済みです)
須佐之男さんが世界的にどういう存在なのかがわかってきています。
天照さんが誰なのか、天照さんが優しい優しい男性の声で教えてくれました。
その直後に、昨日の銀杏の木の写真を撮りました。
伊邪那岐さんが誰なのかも、知的な伊邪那岐さんが教えてくれました。
伊邪那岐さんは薬師如来にあてられていることから、昔の人はこのことを知っていたのだろうと思いました。
バイク事故の後にしばらく助けてくれていた五十猛命は、須佐之男さんの息子ではありませんでした。
国常さんが誰なのかは須佐之男さんが教えてくれましたが、証拠をつかむために調査中です。
「二度目の岩戸開きはアマテラスではなくてスサノオ。
今こそほんとうの救世神スサノオを顕現させ、その息吹で世界を覆った黒雲、八重垣を吹き倒そうとの第一歩を踏み出したのです。」
これはつい数日前に読んだ、出口王仁三郎さんの孫の出口和明(やすあき)さんが「スサノオと出口王仁三郎」の中で書いていたことです。
私も同じように思うようになりました。
救世主としての須佐之男命を発表する為に、毎日読書と須佐之男さんとの確認を続けています。
今までわかってきたことを考え合わせて、今日がしめ縄を取り付けるのにふさわしい日だと思いました。
そして、途中経過を報告するのにもふさわしいと思ったので書いています。
でもまだ悲しみの中でです。
須佐之男さんが本当は誰で、どんな存在なのかを日本国内はもとより世界中に早く知ってもらいたい気持です。
それができるように、2016年も読書漬けになるのかもしれません。
「多次元生活」は3冊分は、たぶん省略かなあ~・・・。