公園で咲いていた、ティートリーです。
身魂磨きの最初は、カルマ浄化となっています。
私はカルマ浄化の祈りを指導させていただいていますが、この祈りを作った私の亡き師は、日月神示や日月神示の前身とも言える大本神諭を読んで、身魂磨きの最初の一歩としてカルマ浄化を効率的に進めて行く方法を考えたのではないかなあと思っています。
「この神のもとへ来て信心さえしていたらよいことある様に思うているが、大間違いざぞ。
この方のもとへ参りて先ず借銭なしに借銭払いして下されよ。
苦しいこと出来てくるのがご神徳ぞ。
この方のもとへ来て悪くなったと言う人民遠慮いらん。
帰りてくれよ。
そんな軽い信心は信心でないぞ。
結構な苦しみが判らん臣民一人も要らんのぞ。
シカと褌締めてついて御座れよ。
この方悪神とも見えると申してあろうがな」(日月神示)(ひつきしんじ)
「神示の正統性を裏づけるかのように、この神示に関わると、まず、傍からは「不幸」に見えることが起こる場合がある。
病気になる、怪我をする、会社が潰れる、職を失う、経済的損失を被る、知人や肉親が死ぬ、等々。
その人によって出方や現れ方が違うが、たいていの人が、これまでになかったような出来事に遭遇する。
しかしそれも、神示にちゃんと予告されていることなのだ。
私たちは、生まれ変わり死に変わりつつ、次第次第に「借銭」を積み重ねてしまった。
“嬉し嬉し”になるためには、まず何よりも、「借銭済まし」から始めなければならない」
そして今がその時で、国家でも人でもカルマの総精算期だということです。
それで破壊的な出来事がいろいろと起こって来ているということになります。
「メグリと申すのは、自分のしたことが自分にめぐって来ることであるぞ。
メグリは自分でつくるのであるぞ。
他を恨んではならん」(日月神示)
カルマ(メグリ)を受けるのは、自分が前世までにそれだけのことをしたからだということです。
「具体的にどうすれば大難が小難に変わるのだろうか。
それにはまず祈ることである。
大難を小難にまつりかえさせて頂けますようにと、日々、言葉(言霊ことだま)に出して祈ること。
そして、その日一日を、少しでも神様の御意(みこころ)に沿う行いをし、夜、床につく時には、「今日も大難を小難にまつりかえて頂き、ありがとうございました」という感謝の思いを捧げることである」
このことを国常さんが話している神示は紹介されていないので、これは中矢さんの解釈ではないかと思いますが、どこかで国常さんが話しているのかもしれません。
確かにこれで、基本中の基本になっていると思います。
私が指導させていただいているカルマ浄化の祈りは、もっと積極的にカルマ浄化を進め、神仏霊からの反応も強い祈りになっています。
祈りを進めた方々の感想は、こちらにあります。
つづきます。