近所の道祖神です。
「出雲と大和のあけぼの」(斎木雲州)で出雲古老の話では、日本最古の国家は大和朝廷ではなくて出雲王国だそうです。
その国教はサイノカミ3神で、父がクナトノ神(イザナギ)、母が幸(さい)姫(イザナミ)、子がサルタ彦ですが、この3人はインドから出雲へやって来たドラヴィダ人王家の3人で、そのさらに元になったインドの神がいます。
それは、父がシヴァ、母がサティ、子がガネーシャです。
今までの記事はこちらにあります。


クナトノ神の一行がインドを出たのは、アーリア人の侵入があったからのようで、その時代はバラモン教がドラヴィダ人に浸透しはじめたころだったようです。
ですから、サイノカミ3神のシヴァ、サティ、ガネーシャはバラモン教以前かもしれませんが、バラモン教が少し混じっているのかもしれません。
徐福(じょふく。須佐之男命。天火明。饒速日)の子孫で天皇の周りの人達が徐福系の創造神話を記紀に使わなかったのは、出雲族の方が古いからというのもあるでしょうが、それが中国と同じになってしまうからだったかもしれないと思います。
徐福は秦の始皇帝をだまして日本に5000人もの若い人達を連れて来て帰化したので、日本が中国の属国だと言われないように、徐福のことは隠したかったそうです。
それが須佐之男命の存在を記紀から抹消しているように見える理由だったようです。
それで、創造神話は出雲族のものをアレンジしたようです。
「出雲と大和のあけぼの」と同じ大元出版から出ている「幸の神と竜」(谷戸貞彦)には、縄文人のほとんどはイズモ族だったと書かれています。
そうだとすると、縄文人の神はインドのシヴァ、サティ、ガネーシャということになって、びっくりです。
そしてこの3人に当てはめたクナトノ神、幸姫、サルタ彦が、道祖神として出雲族の移住先で祭られ、今でもあちこちで見ることができます。
さっき、近所で撮影してきた道祖神です。
仲の良さそうな男女が彫ってあるのが、クナトノ神(シヴァ、イザナギ)と幸姫(さいひめ、サティ、イザナミ)ですね。
庚申について、ウィキペディアではこう書いてありました。
「現在までに伝わる庚申信仰(こうしんしんこう)とは、中国道教の説く「三尸説(さんしせつ)」をもとに、仏教、特に密教・神道・修験道・呪術的な医学や、日本の民間のさまざまな信仰や習俗などが複雑に絡み合った複合信仰である。」
ここに、猿田彦(ガネーシャ)も習合したようで、みざる、いわざる、きかざるの三猿が、庚申塔にはよく彫られています。
これもさっき撮影した、青面金剛庚申塔。
この庚申塔の下の方にも三猿が彫られていたのかもしれませんが、判別できなくなっていました。
道祖神や庚申って何だろうと思っていましたが、神道以前の出雲の国教の神だったんですね~。
縄文人のほとんどはイズモ族だったのなら、神道以前の日本の国教の神と言えますね。
庚申の方は、以後の信仰と混ざっていますが。
これから道祖神を見かけたら、しげしげと眺めるようになりそうです。
はじめから道祖神好きの人って、出雲ととてもご縁が深いんだろうなあと思いました。
5月11日、画像追加です。
よく行く公園のそばに、庚申塔がふたつ並んでいました。
左は、庚申塔という文字の下に、三猿が彫られています。
右は青面金剛庚申塔で、下の方に三猿が彫られているようですが摩耗していました。
あちこちにありますね~。