公園のけやきが、色づいてきました。
神社でお願いをしても、何も変化がないという人が多いようで、時々質問を受けます。
そのことを須佐之男命にも聴いてみました。
【私】神社で何度もお願いしたのに何も反応がないのはどうしてと聞かれて、それが反応だと答えました。
【須佐之男命】それであるか。
その通りであろうの。
ご祭神様としては、何と言われたいですか?
それはの、そなたのような祈り(祈ららの霊の祈り)であれば反応せずにはいられぬが、それ程でなければその方が良いと思うのであろうの。
それは祈り方というよりは、言葉の選び方が上手というのが確かにありて、仕方がないものであろう。
だが普通の人の祈り方を言うならば、その祈りの内容が良いものかどうかが秤にかけられると言おう。
その祈りによりて良うなることであれば、良うしてやろうと思うのが賢明な判断となろうが、そのことによりてその者が良うならぬのであればせぬのが良い判断となるであろうの。
それが当り前と申そう。
そなたが言いたのがその通りであるぞよ。
それであれば何が言いたいかと言えば、何もできぬことが言われたと言おうの。
何かできることを言ってくだされば良うしたものを、何もできぬことを言われたならば何もせぬのが当然となろうと言わぬのが神であるが、そう思うてくれれば良いのにとは思うておろうと伝えたいがの。
そう言うてやれば良いと思うた。
わかりました。
このことをブログに書きますね。
それで良いと申そう。
多くの神々が困っておろうからの。
良いようにしておるが、何もしてくれぬと言いて不満顔であろうから、よう言うていただきたい。
わかりました。
私は、神仏は必ず反応していると思っています。
霊感がないという人にでも、きっと反応しているからその答えを探してもらいたいと思います。
そう言えば良い。
そうすれば本当にわかるようにしてくれよう。
そう思います。
という会話になりましたが、20年前なら神社でお願いをしても何も変化がないのが当り前の感覚だったでしょうが、それで疑問を持つ人が増えたのは、世の中全体が霊的に成長しているということだろうなあと思いました。