3月18日の水曜日は、近くで行われたコンサートに出かけてきました。
ウィーン・クライスラー・アンサンブルで、ウィーン国立歌劇場管弦楽団とウィーン・フィルハーモニー両方のメンバーという人が多いみたいでした。
たまには耳のそうじをしないとと思って生音を聴きに行ったのですが、耳のクリーニング万全になって帰って来ました。
1曲目のモーツァルトのディヴェルティメントK.136が始まったら、ああ~こんなきれいな音、今まで生きてきて聴いた音という音の中で一番きれい~!と思いましたわ・・・。
もう涙出そうに感激して、須佐之男さんを呼んですごいすごいと言いまくったら、須佐之男さんは「この世の人間もなかなかやるのう。」だそうで、あっ、霊界の音楽はこんなレベルじゃないんだなと気づきました。
「それであろうの。
良きことが目白押しであるからの。
音楽もそうとなろう。」
「この世では肉体的な技術が必要になりますが、霊界では思いのままですからすごいんでしょうね。」
「それであろうの。」
「その人がこう演奏したいと思ったことがそのまま音になるんでしょうね。」
「想念の音と言おうの。」
「音の性質も何もかもでしょうね。
そして、その音の中にその人の想念も込められて、聴く人も霊だからその想念も一緒に感じたりするわけですか?」
「それであろうの。
素晴らしいであろう。
芸術というのは細かな技術であるが、この世の者のような大ざっぱなことでは出せぬようなたくさんの音が出せるようになろう。
そのことも言わねばならぬ。」
「そうなのですか。」
「そのような不思議な音ともなろうから、(死ぬのを)楽しみにしているが良い。」
「楽しみですねえ。」
なーんて、聴きながら話していました。
ウィーンの人達には十八番のシュトラウスⅡは、ウィンナワルツをまあまあ聴き慣れていると思う私にとっても、起き上がりこぼしのようなリズムでびっくりしました。
これは指揮者の問題だと思いましたが、その指揮者の人が一番上手くてクライスラーの「中国の太鼓」では超絶技巧とさらにすごい音色を聴かせてくれました。
私はクラシック音楽も民族音楽として聴いているので、音色もリズムも「ど」ウィーン節で、たっぷり満足しました。
ヨーロッパのクラシック音楽も世界無形文化遺産になればいいのにと思いましたが、調べてみたら無形文化遺産の選考基準として消滅の危険性があることが含まれるようなので、今のところはならないのかもしれません。
日本の無形文化遺産登録は2001年の能楽が最初だったようで、当然だねっと思いました。
私は、能楽が日本は当然のこと、世界最高の芸術だと思っています。
今回会場に着いてみてびっくりしたのが、聴きに来ていたのは60歳代位の方が圧倒的に多かったことでした。
一体これはどういうことなんだろう?
クラシック音楽って、今、若者は全然聴いてないのか、藤沢だからなのか?
こんなに年齢層が高いということは、寝る人が多いだろうと思ったらそんなことはなくて、クラシック音楽に長年親しんできた人が多かったみたいでした。
クラシック音楽を国が推奨していた世代がこうしてクラシック音楽振興に役立っていた名残で、もっと若い世代はクラシック音楽離れを起している?
でもその方が自然なことかもしれないと思いました。
邦楽を教えずにクラシック音楽中心に教えていた国の教育が、異常だったと思います。
和楽器なんて学校で触ったことがありませんでしたし、本物の日本画ももちろん画材も見たことありませんでした。
給食は1年中毎日、パンとマーガリンと牛乳でしたしね。
でもまた耳と気持がむずむずしたら、ウィーンの音を聴きに行くと思います。







