公園で咲いていた、水仙です。
さっき若い人の自殺についての番組を見ました。
自殺したくなる動機は、割と簡単なことだなあと思いました。
こうすればいいのにこう考えればいいのに、どうしてそんなことがわからないんだろうできないんだろうというのが一般の人が感じることかもしれません。
でもその簡単なことで自殺したくなるのは、簡単でない理由があるからだろうと思います。
簡単に自殺したいとは思わないような人にできることができなくなる程、それまでに弱っているからなのだろうと思います。
それはやはり、物心つくまでの育てられ方からの影響が強いだろうと思いました。
一般的にインナーチャイルドやアダルトチルドレンについてあまり取り上げないのは、どうしてなのかなあと思います。
知ると救われた気持ちになる人が大勢いるだろうにと思います。
それから、学校などからの画一的な価値観の押しつけが、まだまだ強そうだなあと思いました。
多様でいいということが現実になっていないので、人と少しでも違うことがとても苦痛になるのだろうと思います。
それが、いじめにもつながっているだろうと思います。
多様でいいということが大人にもできていないのだから、子供にそれを教えることも難しいでしょう。
画一的な価値観に合わせることで受けるストレスを誰かに八つ当たりしたくなっていじめたり、画一的な価値観に合わせることのできないストレスを感じたり。
みんなが現実に存在しない架空のイメージに苦しめられて、恐怖におびえています。
この画一的な価値観自体が、人や物事を恐怖によって支配しようという内容だからだと思います。
この同じような土壌から、性格によっては自殺ではなくて犯罪に向かったり、精神・神経の病気に向かったり様々に表現されて行くのだろうと思います。
一部の人の悲鳴をみんながよく聴いて対処して行くことが、みんなの幸せにつながるのだろうと思います。
鈍感な人はそういうことは他人事で自分は大丈夫と思っていて、ある時急に自分もおかしくなってから問題が存在していたことに気づくのですから。
苦しんでいる人は鈍感な人よりも先に気づいているだけで、形を変えれば感受性豊かな芸術家のような存在とも言えるかもしれません。