
いつもの祈りの最後に、久しぶりに須佐之男さんと長く話しました。
通訳の霊が離れた
Xの投稿のためにブログの過去記事を見ていたら、おもしろいのがあったので、気持ちがゆるんで「須佐之男命=徐福」で生まれたこだわりがすっかり消えました。
須佐之男さんからの「我がすべて(行った)」というひと言の中に、「他の神仏には手出しさせず、自分の責任で、自分だけですべてを行ったのである。他の神仏に、責任を負わすわけにはいかないからである。どうだ、うまくやったであろう。ふんっ。」というデータが入っているという記事でした。
以前のように簡単に話せました。
耳からの霊聴かと思ったけれど、テレパシーのように頭に入ってきている感じでした。
ナッツとも、このごろ同じような感じです。
耳から聞こえる霊聴は、相手が低級霊です。
高級霊からのテレパシーは、頭かのどか胸から聞こえてきます。
耳からの霊聴は他の霊にすり替わられることがありますが、頭、のど、胸へのテレパシーがすり替わられることはありません。
あの通訳の霊は離れたと言われました。
ナッツとの会話や先祖供養代行の時に通訳をしてくれていた霊のことです。
間に通訳が入ると相手との直接対話ではなくなるので、不快感がありました。
いつから通訳が入っていたのか聞いたら、私が先祖供養の代行で会話をしはじめた時からだそうでした。
このごろそれをやめたので、いなくなったと。
そうだったんだ。
先祖供養の代行では、間違いがあるといけないので、いつも疑っていたのでした。
その疑いで波動が下がって、余計な霊が来てしまっていたみたいです。
霊感の特徴として、その内容は真実だという確信がくっついているのが普通ですが、通訳が入るとその確信がなくなり、さらに疑っていなくてはいけませんでした。
須佐之男さんに、ヨシトモや義朝さんに代わりを頼んで会話ありの供養を再開するのはどうかと聞くと、先祖供養で会話すること自体、なくてもいいことだと言われました。
前田先生には私の守護神は弁財天だと言われましたが、今は須佐之男さんだと思っています。
弁天様の神社で、須佐之男さんの神社程は泣いたりしません。
須佐之男さんだけが、ほかの神仏とは圧倒的に違います。
須佐之男さんが守護神なのか聞いたら、そうだと言われました。
いつからかと聞いたら、ずっと以前からだと。
私は武将だからだと。
そんなに元気じゃないと言ったら、そんなことはないと言われました。
須佐之男さんは普通の話し方になっていました。
ヨシトモ風じゃありませんでした。
ヨシトモともしばらく話してないから、影響がなくなったみたいです。
しかもヨシトモみたいに、次の日に散歩しながらでも簡単に話せました。
いらないことは話さないけれど。
だから話せるのかもしれません。
どうしても通訳の霊が存在することが不快になって、供養の中での霊との会話をやめることにした時、これで何かが前進すると思いました。
何が前進するかはわかりませんでしたが、須佐之男さんやナッツとの直接対話ができるようになって、うれしいです。
地下人ミカからテレパシーが入って来るようになったのも、これが関係していたかもしれません。
何かが人の役に立つかどうかよりも、自分の役に立つかどうかの方が大切なことだなと思いました。