自分の前世が、ひとりわかりました

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「佐波大明神太鼓保存会復活五十周年祭」に出かけて参拝しました。

いつものようにご祭神は須佐之男さんだと思って参拝しましたが、後からお祭りだから本来の源義朝(みなもとのよしとも。頼朝の父)さんだったと気づきました。

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義朝さんは家族と友人を足したような、一番安心できる相手

もっと長く参拝すれば良かったと後悔したけれど、後から話しました。

義朝さんは家族と友人を足したような、一番安心できる相手です。

 

「義朝さんは私の守護霊団のひとりですか」と聞いたら「わからぬか」と言われたのでそうだという意味だと思いました。

前世が誰なのか教えてほしいと言っても教えてくれません。

「守護霊かどうかはわりとハッキリと教えてもらったので、こんな風にでもいいからわかるようにしてもらいたいんですが」

「後からとなろう」

 

義朝さんが守護霊だとは以前に聞いていたかもしれないし、考えても普通のことだと思いました。

家族だったことは間違いないと思っているので。

自分が誰かということを須佐之男さんも全然教えてくれないけれど、教えて教えてじゃなくて自分で思い出せばいいと思いつきました。

候補は絞られていて、妻の由良御前(ゆらごぜん)か、源義朝の長男の義平(よしひら)のどちらかだと思っていました。

15年前に行った由良御前の供養はこちら。
http://kilalaspiritual.blog90.fc2.com/blog-entry-1112.html

15年前に行った源義平の供養はこちら。
http://kilalaspiritual.blog90.fc2.com/blog-entry-1127.html

15年前に源義平の墓参をした時の様子はこちら
http://kilalaspiritual.blog90.fc2.com/blog-entry-1131.html

 

義朝さんと一緒にいた前世を見てみたら、私は子供で男の子でした。

やっぱり義平なんだなと思ったけれど、もしや由良御前が義朝よりも大分幼かったんだろうかと思って調べたら、命日が1年前に亡くなった犬のナッツと同じでした。

由良御前の記事を読んでいると泣けてきて、思考が止まってよく考えられなくなります。

義平の記事を読んでも何ともありません。

男の子のイメージが出てくる前に女性のイメージが出てきそうになったけれど、それはまだ集中できていなくて先入観だと思って退けたのでした。

最初に出てきたのが本当だったということ?

 

やはり由良御前について読んでいると涙ぐんで頭が止まりそうになるので、もう間違いないと思いました。

頭が止まりそうになるという感覚は、はじめてです。

いくら祈りで泣いても、いつも頭の中はくるくる回転してあれこれ考えています。

 

由良御前は、源義朝の妻で源頼朝の母です。

先日、頼朝と波動が合った時につーっと涙が流れてありありと性格が感じられて、何だか息子から受ける感覚と似ていると思ったのでした。

 

由良御前の父は熱田大宮司です。

熱田神宮で自分の家に帰ったような気持になるのは、由良御前の感覚だったのかな。

由良御前の父は藤原氏で、その母は尾張氏です。

出雲口伝では、藤原氏は須佐之男命の従者、尾張氏は須佐之男命の子孫です。

 

面白い記事を見つけました。

「由良御前は今上天皇の直系祖先です」とあり、義朝の娘・坊門姫(ぼうもんひめ)からつながる系図が何種類も書いてありました。

途中に光厳天皇がいて、これも光厳天皇が私を好いてくれる理由かも?

途中に何人か女子が入るので、直系とは言えないんじゃないかと思いますが、つながってはいるようです。

 

由良御前―坊門姫―一条全子―西園寺実氏―西園寺きつ(おんなへんにきち)子―後深草天皇と、系譜5までは伏見宮貞成親王までが共通で、その先が5種類。
系譜6は西園寺きつ(おんなへんにきち)子の次が亀山天皇。
系譜7は西園寺実氏の次が西園寺公相。
系譜8は一条全子の次が西園寺(てへんにりん)子。
系譜9は坊門姫の次が一条能安の娘(九条良経の妻)。
系譜10は坊門姫の次が一条高能。

由良御前【今上天皇の直系祖先】
由良御前は今上天皇の直系祖先です。本サイトでは、今上天皇の直系祖先とされる歴史上の人物の一覧(3000名以上)と、各人物...

坊門姫の子孫は繁栄したんだなあ。

感動~。

坊門姫の記事は、読んでいても何ともないので、私は坊門姫ではなさそうです。

 

頼朝の血筋は3代で途絶えましたが、義朝からならば娘の坊門姫の血筋が鎌倉幕府9代将軍まで続いていたそうです。

「この6代・宗尊親王が、坊門姫の玄孫・近衛宰子(このえさいし)と結ばれて惟康(これやす)親王が誕生。彼が7代目を継ぎ、その娘が嫁いだ久明(ひさあきら)親王が8代目、その間に生まれた守邦親王が9代目を継いでいる。頼朝の直系は途絶えたかもしれないが、その父・義朝からの源氏の系譜は、坊門姫を仲立ちとして、9代に至るまで脈々と繋がっていたのだ。

 ただし、守邦親王が9代目を継いだところで、足利高氏(たかうじ/尊氏)や新田義貞(にったよしさだ)らに攻められて、鎌倉幕府は崩壊。両名はともに、河内源氏三代の一人・八幡太郎こと源義家(みなもとのよしいえ)の四男・義国(よしくに)の流れを汲む武人たちであった。源氏はその後も、彼らを通じて脈々と系譜をつなげていくのである。」

鎌倉9代将軍まで河内源氏の系譜を繋げた、源頼朝の妹・坊門姫 | 歴史人
あまり知られてはいないが、源頼朝には、坊門姫(ぼうもんひめ)という妹(あるいは姉ともいわれる)がいた。この女性、事績とし...

そうだったんだ~、鎌倉幕府って9代まで将軍がいたとは知らなかった。

坊門姫を通じて、義朝と由良御前の血筋が9代将軍や今上天皇までもつながってるとは、これはえらく楽しい話でした。

明治天皇からは、すり替えで南朝になってるようだけど。

 

何だかまた涙ぐんできました。

やっと確信を持ったからだと思います。

誰が涙ぐんでるんだろう。

義朝さん?

「そうだと言おう!」と伝わってきたような。

由良御前本人は?

「それは自分に聞けば良い」だって。

 

初めて由良御前を供養した時に、この人は特別な人だと思いました。

義朝さんのあげ〇〇で良かった。

宮簀媛(みやすひめ)さんとも血がつながってるんだ。

須佐之男さんとも。

「うれしいであろう」

「うれしいです」

 

今までずっと、須佐之男さんや義朝さんに教えて教えてと何10回と言ってきました。

自分にはわかる能力がないと思っていました。

それがいつの間にか、以前よりも感じられるようになっていたみたいでした。

今まで教えてくれなかったのは、自分でわかるからだったんだな。

教えてもらうよりも自分でわかる方がいいからなんだろうな。

こうやってわかるものなんだな。

もっと前に自分で思い出そうとしていれば良かったのに、須佐之男さんや義朝さんと話せるから教えてもらうもんだと思い込んでいました。

他のこともわかるかな。

男性だった時は誰それだったとか。

どこの星にいたとか。

 

鎌倉に引っ越すことになって頼朝に惹かれそうになってたけれど、頼朝はメジャーすぎて気後れすることもあって義朝に目を向けたら義朝の方がどんどん良くなりました。

2番目を選んだような感じもしたけど、あまりの惹かれ方にそうじゃないと思いました。

頼朝は正確に感じられていませんでした。

先日の涙で、やっと本当の性格を感じたと思いました。

きっと他の人達も多かれ少なかれそうなんでしょう。

今また供養したり参拝したりすれば、以前よりもみんなありありと本当の性格がわかるんじゃないかと思います。

ずっと自分かもと思っていた義平、それほど愛してくれて本当にありがとう。

義平とは、何か別のご縁が隠れているかもしれないと思います。

 

私は京都五条坂の若宮八幡宮と六孫王(ろくそんのう)神社には自分の家を感じるので、源氏に嫁いだのではなくて源氏に生まれたこともあるだろうと思っています。

他の前世もわかるといいなあ。

 

画像は、公園で咲いていたスズランです。

 



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