公園の紅葉です。
前回の記事で、神は身の回りのことや、感情でも返事を伝えてくれていると書きました。
※ 前回の記事「神様とお話」です。
神社への往復の道中でもご祭神の気持を感じさせてくれるなあと思っていたら、加波山(かばさん)神社(祭神・国常立命)への往復の時の感覚を思い出しました。
その日は、自宅を出てから帰って来るまで、普段のことは全て忘れて別の次元に入ったようになっていたのですが、そのことに帰って来て日常に戻ってから気づいたのでした。
加波山神社のことを思い出したら、すっと気分が良くなって、本当に久しぶりに国常さんが話してくれました。
それで国常さんの波動の中で、「国常さん、国常さん、国常さん」と呼びながらわーわー泣きました。
神仏の波動で泣く時は、歓喜の涙です。
あまりの幸せに耐えられず、泣くことしかできない感じです。
ぽろぽろ泣きながら、1時間位積もる話をしました。
国常さんは、普通のうちのお父さんかおじいさんみたいな感じでした。
20年位前に須佐之男さんとのラブラブ状態が一旦終わった後は、国常さんにあれこれ相談していたのでしたが、その6~7年間が終わって離れた後は、素晴らしい参拝はあってもじっくり話したことがありませんでした。
今、気になっているいろんなことを話しては泣き、話しては泣きながら1時間程話して、心身がすっきりしました。
ちょっと困ったことがあったので、助けてくれたのだと思います。
前回の記事で、信じていれば必要があれば話してくれるし返事もしてくれると書きましたが、信じる気持が強い程、話すことも返事を受け取ることも簡単になります。
そうなって当然と思っていれば、簡単に受け取ることができます。
私も今でも、信じる気持がだんだんと強くなっていて、見たり聴いたり話したりが簡単になって行っています。
年令が若い人程、そういう人が増えてきました。
今の40代以上は、できないのが当り前だからと思ってあきらめている人が多いのですが、だからできないのだと思います。
今の20代の人たちは、自分もできるんじゃないかと思っている人が多くなってきたので、そういう人は本当にできます。
その様子を40代の人たちが見てびっくりしていますが、それは自分がそういった現象が自分にも起こり得るということを受け入れているかどうかの違いです。
チャネリングではよく、このことを「許す」と言っていますね。
普段から自分の気持や感覚ではなくて周囲の人を基準にしていると、大多数の人たちがそうなのだから自分もできるわけがないと思い込んでしまっています。
自分と同世代の人たちはそうなので、そういうものだと思っています。
でも若い世代は霊的なことを感じる人が増えているので、他の人が感じているのだから自分もできるかもしれないという気持が強くなっています。
それで本当にできてしまいます。
こういうことがこれからも進んで行って、だんだんとより若い世代から見えたり聴こえたり話したりできる人が増えて、当り前のことにまでなって行くんだろうなあと思います。