公園で、どんぐりがなっていました。
ある親子の間で少しもめ事が起きた時に、そのおばあちゃん(親の実の母)が心配して、親に話しかけました。
それで「心配させないで」と言いました。
よく聞くようなセリフです。
親子のもめ事は置いておいて、このおばあちゃんの発言をどう考えたらいいのでしょうか。
この責任はどこにあるのでしょうか。
おばあちゃんは誰のことを考えているかと言うと、自分の気持です。
自分が心配して胸を痛めたくないものだから、「自分を不幸にしないで、自分を幸せにして」と子供に訴えているのですから、利己的な気持です。
このおばあちゃんは、自分がもめ事に巻き込まれているわけではありませんから何も心配して胸を痛める必要はないのですが、心配性になっています。
きっと何かと周りの物事のせいで、気持がかき乱されることが多いタイプなんでしょう。
事実、周囲の物事や人への不平不満が、普段の話題の中心になってしまっています。
自分の快不快、幸不幸の原因が物事や人にあると思って疑っていないのだろうと思います。
自分のエネルギーを周囲の物事や人に任せてしまって、自分はどうなろうかという選択が物事しだい人しだいになっているんでしょう。
親離れはもちろんできていないでしょうから、子離れもできないで、子供の動向で自分の気持や幸不幸が左右されてしまいます。
周囲の物事や人からの影響を強く受けてしまうので、周囲に頼むような気持になってしまいます。
それで親子でもめていた親は、一旦子供のことを置いて振り向いてこう言いました。
「安心するか心配するかどうかは、お母さんの考え方次第で私のせいじゃないよ。
心配するのは自分の責任だから、心配性を人のせいにしないようにして。」
こう言われたら、おばあちゃんは嫌でも少し自立しないといけなくなるのではないかと思います。
何かあった時にその物事をどうとらえてどう対応するかは、自分で様々に選択することができます。
心配して心を痛めることもできますが、どうなるか見守ることだってできます。
子供と孫の問題だから自分達で解決するのが当然だと、超然としていることもできます。
人を変えようと意識していなくても、自分が変れば周囲も自然に変らざるを得なくなります。
自分が親離れできていれば、親離れや子離れができないでいる依存傾向の強い親や子供に、普通に接して望まれた時に答えるだけで親離れや子離れを促すこともできるようになります。
※ 親離れについては、こちらのカテゴリーをお読みください。