公園で咲いていた、タイサンボクです。
みなさんの悩みを読ませていただいていると、こんな感じで迷われることが多いように思います。
「〇〇〇〇〇〇〇〇したい。でも〇〇〇〇〇〇〇〇だし、〇〇〇〇〇〇〇〇だからできない。」
大体の場合は最初のところが自分の本当の気持で、「でも」から先は頭で考えた都合ということが多いと思います。
さらに「でも」がつくと、今度はまた本音が出て来て、その直後の「でも」はまた頭で考えた都合になる・・・。
そうやって、ああでもないこうでもないと悩まれます。
自分の本当の気持と、頭で考えたことを振り分けてみましょう。
すると、少し整理がつくのではないかと思います。
もちろん自分の本当の気持を採用します。
そして頭で考えたことは基本的に却下ですが、自分の本当の気持を採用しながらも可能なことでしたらそれもやるといいと思います。
最近のスピリチュアルカウンセリングのご相談で一番多いのは、離婚したいということです。
ほとんどの場合、「離婚したい、でも〇〇〇〇〇〇〇〇だし・・・」と続きます。
そうなると、離婚たいというのが本当の気持で、でも以下は頭で考えた都合のようですね。
けれどあれこれ書かれた末に「離婚したい、でもがんばった方がいいのだろうと思います」などと言われる人がまたほとんどです。
そう言われると私は、ああこの人は自分の気持に従うことが一番大切なことだと気づくのが課題なんだなあと思います。
がまんしてがまんして、心や身体の病気になって限界がきてからようやく行動して、人は本当の気持にうそをついては生きていけないんだと学ぶことになるのだろうと思います。
どこまでかまんするのかどこでそのことに気づくか、心身を壊す前に気づくのか壊してから気づくのか、壊してからどれだけ長くそうしているのかというのが人それぞれ時間の問題のように思います。
そして渋々自分の気持に従うしかなくなってみると、あれ程しがみついていた常識に反する行動を取ってしまうことになりますが、何だかすっきりして不思議な気持になるかもしれません。
それでもまだ世の中から認めてもらえるかどうかが不安かもしれませんが、それでもいいと思うようになれたら、常識から少し自立したことになると思います。
人の心の複雑さや痛みも経験して同情深くなり、オーラが少しグリーン色になっているかもしれません。