写真は、公園で咲いていたクサギです。
先に光の存在まで説明してしまいましたが、幽界やこの世では悟ることが転生や人生の目的なのかと言うと、当面はそのようになります。
だから昔からそのことに気づいた人は、他のことを放っておいて悟りに一生懸命になったりしたわけですが、悟りというのはそれだけやっていればいいというものではないと気づいて、生活全体から整えようとしたりもしてきたように思います。
私は悟りには関心がありませんでしたが、悟ったと思います。
それで、悟りには執着しないということも必要だと思うようになりました。
私の悟りはこちらです。
人生の目的が本当に悟りなのかどうかは疑問だと思います。
悟るまでにいろいろなことを学んで精神的な成長をして行くことの方が、本当の目的ではないかと思っています。
その為のシミュレーションマシーンが、この世の現実世界(幻想世界)だろうと思っています。
学びのためのせっかくのシミュレーションをあまり経験しないで悟りだけをクリアしてシミュレーションを強制的に終了させても、本来の目的だった学びはできていない状態ではないかと思います。
これも一種の執着でネガティブな考えということになって、悟り地獄みたいなところにとらわれるかもしれないなあと想像します。
悟ると転生が終わって次の界へ行くのは確かなようですが、十分に学んで心が成熟すると自然にそうなるものだからだと思います。
いつか自然に悟ることになるんだろうなあ程度に思っていればいいことなのではないかと思います。
学べば自然に悟る、でも悟っただけでは学べないと思います。