前回は、自分から身を引くことで、善悪にこだわる人と衝突するのを避けて平和でいられると書きました。
前回の記事は、「自分が身を引く」です。
例えば、あまり起こらないことですが、人に殺されそうになったらどうするでしょうね。
相手は、善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわる3次元の価値観だと思います。
そこから身を引くとしたら、逃げるのが一番いいのかもしれません。
逃げられないなら戦うかもしれませんが、こんな戦い方をした人がいました。
「天使的宇宙人とのコンタクト」の著者で金星人や火星人と交流があったハワード・メンジャーさんは、軍隊に入ってすぐに沖縄戦に来ていて、日本人と取っ組み合いになったそうですが、宇宙人たちは相手が死んでしまわないように調節してくれていたそうでした。
はっきりとは書いてありませんでしたが、宇宙人がメンジャーさんに憑って戦ったような感じでした。
一方で、「神との対話」の中では、相手を受け入れて抵抗しないと書いてありました。
できるようなら、大きいトラブルも小さいトラブルも、なるべく相手と同じ土俵に立たないようにするのがいいでしょうね。
善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわって身体で戦ったり意見を戦わせたりしても、どちらが濃いか薄いかを言っているだけで善悪は幻想なのだから、ただ不自然な価値観(善悪)に当てはめただけで解決になりません。
そしてその不自然さに、ずっと不安や落ち着かない気持が残るだけに決まっています。
自分はそこから出て、もっと霊的にも宇宙的にも安定できる価値観で動きましょう。
善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわらないことは、逃げることかもしれません。
善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわらないけれども、その場を何とか収めるために戦うかもしれません。
善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわらないで、相手を受け入れて抵抗しないかもしれません。
自分の心が善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわらないでいることに、一生懸命になりましょう。
自分の心が善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわって怒りや憎しみで動くよりも、自分の心が善悪、勝ち負け、優劣、貧富、認められるかどうか、強弱などにこだわらないでいられたらそれでいいのだと思います。
その上で、逃げたり戦ったり相手を受け入れて抵抗しないでいるといいと思います。
大事なのは、命よりも心です。
命が一番なのが、黄色までのオーラで3次元の価値観です。
命よりも心が大事なのが、グリーンのオーラで4次元以上の価値観です。
現実にはなかなか起こりえないことでしょうが、一度ここまで考えてみると、心に芯が通るのではないかと思いました。
ナッツが散歩中に、垣根のすきまに入って行こうとしました。
私「そこは狭いんだ。お母さんは通れないんだ」
するとナッツはしばらくじっとしてから
ナッツ「そうなんだ、お母さんが可哀相なんだ」
と言って、引き返してくれました。
お母さんが可哀相だなんて、よくわかったなあと思いましたが、そのままこのことは忘れていました。
それから半年程経って、そう言えば私は何かでうっかりナッツに痛い思いをさせたりした時に「ごめんね、可哀相だったね」と言ったり「ナッツが寒いと可哀相だから服着ようね」と言ったりしていることを思い出しました。
ナッツは、可哀相という意味をこうして憶えて使ったんだなあと、昨日になって気づきました。
起きた!
もう帰るのかな?