心のエネルギーが自分の外側に向かう人は外向型、心のエネルギーが自分の心の内側に向かう人は内向型です。
外向型の人は興味関心が人や外の世界に向かっていて、内向型の人は興味関心が自分や心の内側の世界に向かっていると言うこともできます。
外というのは見えるもの、内というのは見えないものと言い換えることもできます。
だから外は物質で、内は霊や精神でもあります。
内向型の人は、世の中が外向的な為に自分の自然な性質を「悪」と言われて育ちますし物質的なことに関して要領が悪いので、外向型の人よりも報われない人生になりやすいと思います。
物質的であることが歓迎されて「善」と言われて、精神的であることが「悪」と言われて報われない今の世の中は、おかしいと思います。
ここにアセンションの理由のひとつがあるように思います。
国常立命(くにとこたちのみこと)が「悪神の世」と言ったのは、外向的で物質的な価値観優勢の世の中のことでしょう。
「上下をぐれんとひっくり返す」と言ったのは、内向的で霊的精神的な価値観優勢の世の中にするということだと思います。
元々、外向的な価値観が優勢であることが、不自然なのです。
内向的というのは霊的精神的であること、身体で言えば骨格です。
外向的というのは物質的であること、肉です。
骨格があって、その回りに肉がくっついているのが自然の状態です。
今の世の中は目に見える肉だけを見て、中の骨格を忘れています。
例えを変えて霊的という言葉を使わないようにすると、内向的というのは物事の哲学です。
外向的というのは、行為です。
面倒なので霊的精神的とひっくるめて言ってしまうことが多いですが、本当は物質(行為)の芯に精神(哲学)があり、精神(哲学)のさらに芯に霊があります。
また例えを変えると、内向的というのは中身です。
外向的というのはパッケージです。
今の世の中は見えるパッケージを大事にして、見えない中身は軽視するか存在しないと思っています。
物質よりも精神の方が波動が高いのですが、この世では物質的な人程よく栄えて精神的な人はあまり価値が認められていません。
外向と内向は性質の違いですが、その性質が自然のままに表現されて大切にされているとは言いがたい状況が今の世の中だと思います。
スピリチュアルというのは霊的で精神的で、内向的です。
内向型の人には馴染みやすくて得意なことになりやすいでしょうが、外向型の人には苦手になりやすいジャンルです。
霊的精神的な人が増えることで、「悪神の世」が「上下ぐれんとひっくり返されて」本来のあるべき内向的で精神的な価値観が骨格で中身で重要視され、外向的な価値観はそれを実用化して見えるようにした肉でパッケージなのだと、自然であるべき形におさまるように変化が進んで行くのだろうと思います。
スピリチュアルなことにひかれて心の進歩成長にまい進している人達は、たった今現在、このような時代の流れを牽引しているのだと思います。
写真は、公園でつぼみをつけていたアセビです。