徐福

神仏

須佐之男命の至福の波動で、涙ポロポロ

神仏の波動を近くに感じると、あまりの素晴らしさに心が耐えきれなくなって涙を流すしかなくなります。
出雲口伝

出雲口伝、徐福が須佐之男、天火明、ニギハヤヒ

徐福が秦(しん)から連れてきた人は5千人ほどいたので、現代のほとんどの日本人に徐福集団の血が流れていると言っても過言ではないという話も印象的でした。
神仏

須佐之男さんに戻り、涙をポロポロ流しながら歩きました

須佐之男さんから離れる気持はないものの、以前のように天真爛漫に慕うことはできなくなっていました。
日本史

須佐之男命の両親は、イザナギ・イザナミではない

徐福(須佐之男命)とその一行は中国から出雲へやって来てイザナギ・イザナミの子孫である2王(大国主命と事代主命)を殺害し乱暴狼藉を働きましたから、両親がイザナギ・イザナミだというのはおかしな話です。
神社仏閣

出雲口伝によると、東北の安倍一族は出雲族だった

安倍王国はさらに北へ北へと追われ、国名を「日高見(ひたかみ)国」「日之元津(ひのもとつ)国」「日本之(ひのもとの)国」「荒覇吐(アラハバキ)王国」などと変えたのを、大和朝廷が「日本」と真似ました。これが日本の国名のはじまりです。
神社仏閣

出雲口伝による神武の東征。それが海幸彦山幸彦のお話にされました

兄の五十猛の子孫(海部氏、尾張氏)と弟のヒコホホデミの子孫(物部氏)が関西で争って、物部氏が勝って大王になったことをおとぎ話にしてあります。海幸彦は海部氏のこと、山幸彦は物部氏のことです。
神社仏閣

出雲口伝によると、桃太郎とスサノオが退治した鬼とヤマタノオロチは出雲王国のこと

吉備王国の出雲侵攻がはじまり、出雲は滅ぼされました。この時の吉備津彦の出雲攻めが、桃太郎の話になりました。桃太郎が征伐した鬼というのは出雲のことです。
神社仏閣

出雲口伝による、八坂神社のはじまり

海部氏が、先祖のスサノオとイソタケ(五十猛)を祀りました。これが姫路の広峯(ひろみね)神社のはじまりです。広峯神社から綾戸国中(あやとくなか)神社、梛(なぎ)神社を経てだったと思いますが、京都の東山へと神霊が移されました。
神社仏閣

出雲の伝承によると、天皇は物部氏

徐福=スサノオ=火明=饒速日(ニギハヤヒ)です。徐福の北九州の妻の子がヒコホホデミで、物部(もののべ)氏の先祖です。天皇は、ヒコホホデミの子孫で物部氏です。
日本史

出雲の伝承によると、天皇家の先祖は天照大神ではなくてスサノオ

天皇は、明治になるまで伊勢神宮にひとりも参拝したことがありませんでしたが、天照大神が先祖ならばそれは異常なことだと思います。でも先祖ではなくて、天皇家が散々抑圧してきた出雲の神なのだから当然のことだったわけです。
日本史

出雲の伝承によると、ヤマタノオロチとは出雲のこと

徐福(スサノオ)は道教の方士でした。徐福たちの一行は出雲の信仰を嫌い、竜神の飾りを切って回りました。また出雲族の家に押し入って、出雲の女性たちに自分達の子供を生ませました。
日本史

出雲の伝承によると、徐福は、記紀でスサノオと書かれました

徐福は日本では、ホアカリ(火明)と名のりました。ホアカリは、丹後の天橋立の北側にある、籠(この)神社や尾張一ノ宮の真清田(ますみだ)神社のご祭神で、海部(あま)一族や尾張一族の先祖です。
神仏

天孫降臨はなかった。出雲古老の伝承。

「私も天孫降臨したい~」「じゃあ、そう書いとくね~」事実はこうだったんですね・・・。
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