3月22日に亡くなった犬のナッツ(チワワ・16歳)との、亡くなってから18日~1ヶ月の様子です。
亡くなってもまだ、最後の縄張りには執着がある
ナッツがこだわらなかったので、ナッツの水入れは猫のあわちゃんにあげました。
ナッツがいないと本当に楽になりました。
最後の3ヶ月位は、ナッツの食事作りで1日1時間、ナッツの食事で1日3時間、ナッツの散歩で1日1時間でした。
ナッツも同じようです。
ナッツは肝臓と腎臓の病気で、少しずつ動きが落ちていました。
だからお互いに楽になってナッツは自由ですべてが良くなったけれど、私にはまだこの世の制限があります。
以前よりも今の状態の方がいいけれど、やっぱり悲しみがまだ癒えません。
車の後部座席を片付けました。
後部座席全体を広くするシートも、ナッツが外を見ることができるように底上げしていたマットも片付けました。
私は何だか寂しい気持だけれど。
「ナッツはこれはなくてもいいの?」
「いいんだ。」
「ナッツはもう、ここにはいないんだね。」
「そうなんだ。
お母さんのそばにいるんだ。」
「そうなんだね。
もういつでも飛べるから、後ろにいる必要はないんだね。
後ろにいるのは嫌だったからね。」
「そうなんだ。」
「本当に片付けたよ。
いいの?」
「いいんだ。」
ナッツは本当は後部座席にいたくはなかったのでした。
今は私のすぐ側にいて後部座席を使うことはなくなったので、なくなっても良くなったのでした。
あわちゃんが、ナッツのケージに入っていました。
「ナッツは大丈夫なの?」
「嫌なんだ。」
「でももうナッツは体がないから、仕方がないよ。」
「でも嫌なんだ。」
「ナッツはもうこの世のことは、どうにもできないんだよ。」
「そうなんだ。
でも嫌なんだ。」
「困ったねえ。
扉を閉めておくかな。」
「それがいいと思ったんだ。」
「じゃあ、そうしておくよ。
ナッツが、もういいと思うまでね。」
「そうしようと思ったんだ。」
「そうするよ。」
「じゃあ、中の布は洗ってもいい?」
「洗濯すると匂いが消えると思ってそのままにしておいたんだ。」
「そうだよ。
嫌かなと思って。」
「もういいんだ。
それは何ともないんだ。」
「そうなんだね。
じゃあ、きれいに洗濯するよ。」
「汚れてるベッドの上の布も、洗っていい?」
「いいんだ。
何ともないんだ。」
「わかったよ。
でもあのベッドは閉められないから、あわちゃんが乗るかもしれないけど、ベッドは大丈夫なの?」
「それはいいんだ。」
「そうなんだね。
あのケージが大切なんだね。」
「そうなんだ。」
ナッツにとって、ケージは縄張りでした。
亡くなってもまだ、最後の縄張りには執着があるようです。
他のベッドに関しては、何ともないようです。
「ナッツもお母さんも楽になって良かったね」と言いながら、涙が流れてきます。
こればかり、くり返しています。
「ナッツはもう苦しくなくなって良かったね、お母さんももうあれ以上大変ではいられなかったよ。
ナッツもお母さんも同じだったね。
ナッツと一緒にいると、いろんなことが大変だったよ。
ナッツが車の中で苦しくならないように、駐車場を選ばないといけなかったよ。
どこに行くにも、駐車場のことを考えていないといけなかったよ。
あっという間に買い物を終りにしないといけなかったよ。
もうそんなことを考えなくても良くなったよ。
ナッツは今は、何でも良くなったんだね。
お母さんも楽になったよ。
でもナッツがいないのは寂しいよ。」
ナッツがいなくなって、どこへでも行けるようになったけれど、あまり行きたいと思わないでいます。
もうどこへも行かないのが習慣になってしまいました。
だんだんと、そういう気持にもなるでしょうか。
ナッツがいないとどこも楽しくないと思うのもあるけれど、考えてみたらこれからはどこにでもナッツと行けるんでした。
ナッツには体の制限がなくなったんだから。
でもまだ、どこへも行かないというブレーキがはずれないでいます。
ナッツといて我慢しないといけなかったのは、アンネ・ゾフィー・ムターのコンサートで、それ以外は、そんなに残念なことはなかったと思います。
ペットショップに茶色いチワワがいて、連れて帰りたくなりました。
でも少し他の場所を見てから戻ってきたら、ナッツと全然違うので気持が冷めました。
ナッツを連れて帰りたくなりました。
ナッツを連れて帰るのが当たり前だったのに、それができないのがつらくなりました。
ナッツの介護で後回しにしていた用事や片付けをやっています。
ナッツの介護じゃなくて、ナッツがいるから後回しにしていたこともいろいろとあるので、どんどんやっているけどなかなか終りません。
ナッツは、私がナッツのことを考えるとやってきてるみたいです。
1日1日、少しずつナッツのことを考えない時間が増えています。
霊の存在を信じなかったり霊とやりとり出来なかったりすれば、何とかしてキッパリとあきらめるんでしょうが、できることがあると、あきらめが悪くなるように思います。
散歩に行く場所は、ナッツがいてもいなくても同じだということに気づきました。
住宅地を歩くのは好きじゃないので、公園だけになってしまいます。
20~30分の散歩でお金を払いたくないので、無料の駐車場がないといけません。
だから今までと同じ場所に行っています。
お店では、駐車場を選ぶ必要がなくなったので、いつでもどこにでも行けるようになりました。
ナッツを車の中で待たせていないので、時間を気にせずにいろいろと見るようになりました。
これが今のところ、ナッツがいなくなってからの一番の違いです。
何をするにもナッツのことをまず考えていたので、もう考える必要がないということがまだ習慣になっていません。
その度に、ナッツがいないことを思い出します。
ナッツのベッドにナッツがいないという景色に慣れてきているけれど、まだそれが当たり前にはなっていない感じです。
画像は、公園で咲いていた桜です。