7年前に『出雲と大和のあけぼの』を始めとして『古事記の編集室』、『幸の神と竜』など出雲の伝承を次々とを読んだ時は、古代日本史の疑問がするすると解けて大喜びでした。
ところがそこには須佐之男命(徐福)の悪行がリアルに書かれていましたから、大好きだった須佐之男さんに対して心の中に溝ができてしまいました。
天真爛漫に慕うことができなくなった
須佐之男命を祀った鎌倉市腰越の小動(こゆるぎ)神社でいただいたタチツボスミレはベランダで群生していましたが、恐らくその群生が原因で突如病気になって他の草花もすべて巻き添えにして全滅しました。
その時、霊の友人ヨシトモの為に植えた百合だけはベランダに置いていなかったので、毎年咲き続けています。
須佐之男さんのタチツボスミレの方こそ一生もののつもりでいたので、本当に残念でした。
須佐之男さんから離れる気持はないものの以前のように天真爛漫に慕うことはできなくなり、どう考えたらいいのかわからないまま7年が過ぎました。
そして数日前、YouTubeを見過ぎて頭が冴えて眠れなくなっていた時、(栃木県小山市)小山須賀神社の須佐之男さんの雰囲気を感じました。
ふと、神社で人がご祭神の場合、参拝するとその守護霊や守護神が出てくることを思い出し、須佐之男命の神社でも同じなんだと気づきました。
神社で対面している須佐之男さんは、徐福(須佐之男命)ではなくて徐福の守護霊なんだと思ってすごく納得しました。
この考えに喜んで、次の日は小動神社に出かけました。
祈り始めると、すんなりと歓迎してくれました。
徐福は徐福の守護霊の一部で、もしかしたら私もその一部かもしれない。
父方先祖にも母方先祖にも須佐之男命の血が入っていそうなんですが、肉体の先祖かどうかよりも霊的に親近感があります。
出雲の立場になって徐福を嫌な奴と思っている場合ではなくて、私も徐福の側という可能性があるのでした。
その次の日の夜の散歩で、1日の歩数を達成する為に佐波神社(祭神・源義朝)位の距離がちょうどいいので、行って来ました。
今までずっと、佐波神社まで歩こうかなと何度も思ったけれど、ちょっと遠いのでやめていました。
あまりついで参拝をしたくなかったし、佐波神社では須佐之男さんが出てくるので。
ご祭神の源義朝の守護霊(守護神)が須佐之男さんなんだと思います。
参拝すると、やっぱり出てきてくれたのは須佐之男さんでした。
この崇高なエネルギーなら喜んで受入れたいと思ったら、「うれしいぞ」と聞こえました。
涙ぐんでの参拝は終り、神社から出ると歩きながら涙が流れました。
ハンカチもティッシュペーパーも持っていなかったので困ったと思ったけれど、手袋があるからいいやと思って、涙をポロポロ流しながら歩きました。
やっと本当に須佐之男さんに戻って来ました。
毎度あのエネルギーを感じると、今が人生で最高の時だと思うけれど、後になると忘れてしまうのです。
高い波動というのは、しっかりと覚えていることも困難です。
徐福のことで須佐之男さんへの気持がギクシャクしてしまって以来、祈り始めのころに小山須賀神社で須佐之男さんが私にくれたエネルギーも私を霊的に引っ張り込むための悪意だったんじゃないかとまで疑っていました。
そんなことはなかったんだと、久しぶりに感じて思いました。
あんな崇高な低級霊はいないんだと。
神はどうせ宇宙人だから大したことないと思うようになっていたけれど、やっぱりあの波動はたとえ宇宙人だとしても破格だろうと思います。
次の日は車の中で、須佐之男さんのことを思い出してまたポロポロ泣いていました。
それでもやはり、小山須賀神社で須佐之男さんが何度もすごい波動で現れてくれたことは何のためだったのかなあと思っていたら、思いつきました。
この世で生きている人は、自分を分霊した守護霊がこの世に残したカルマを受けて浄化しているんでした。(霊界にはカルマがありません)
もしも須佐之男さんが私を分霊した守護霊の遠い守護霊(霊的な先祖)だとしたら、私はカルマ浄化の祈りで須佐之男さんのこの世時代のカルマを浄化することになるから、須佐之男さんにとって喜ばしい存在だからなのかなと思いました。
それなら結構納得できます。
今までは出雲族に同情的になるだけだったけれど、私も須佐之男さん側なんだと思うとまた別な意味で複雑な気持です。
それでもあるべき形に戻って来ることができて、うれしいです。
画像は、鎌倉市腰越・小動(こゆるぎ)神社で咲いていた、ボケです。