3回目の供養をして、話しました。
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3回目の供養
彼「私の様子があまり良くないことがよくわかられたようですが、大変な状況ということでしょうか。」
私「そうですね。」
「私のことが好きでたまらない人ばかりなのだが、それでも問題があると考えて良いのでしょうか。」
「そうですか。
守られているのですね。」
「そうなのですが、そのような行為が問題だと考えているようです。」
「そのような行為が問題だとは感じないでいますか?」
「私のことを愛してくれているのなら、問題があるとは言えないと思いました。」
「そうですか。
それではこれはわかりにくいので、いいことにします。
今、周りは明るいですか?」
「薄暗いかもしれません。」
「薄暗いということは、あまり良いところではないということになります。
薄暗いのは、あなた様の心の中も薄暗いからだということになりますが、心当たりはありますか?」
「私の心が薄暗いのは、このような人たちに囲まれて生きているのが果たして良いかどうかがわからないと思っているからかもしれません。」
「良いかどうかとは、何がいけないと思われますか?」
「私がひとりで生きなくてはいけないと、あなたはおっしゃいました。」
「そうでしたね。
だからそのような行為が問題なのです。」
「その通りでしたか。」
「そうですね。
ご自分の本当の気持はどうですか?
どのように生きたいですか?」
「このような人たちと共にいても私が大切にしているものがわからないようにならなければいいのですが、この人たちといれば私は何が大切なのかがわからなくなるような気がします。」
「そうだと思います。
それがどうしてかと言うと、ご自分の本当の気持というのは、ひとりで静かにしていないとわからないからです。」
「そうなのですか。」
「だから、人と共に生活するのもいいのですが、ご自分の本当の気持が分かる程度にはひとりでいる時間を持たないといけないと思います。」
「そうでしたか。」
「だから全くひとりになって誰とも会わないようにはしなくてもいいので、ご自分の本当の気持がわかるまでの間はひとりでいた方がいいと思います。
そうしたことを尊重してくれるのが、本当に愛してくれている人だと思います。
今まわりいる人たちも薄暗いところにいるのですから、尊重するということがわからないのだろうと思います。
相手を尊重したり相手の成長を喜んだりすることが愛するということだということも、よくわからないのだろうと思います。」
「そうなのでしょうね。
私がそうだからそうなのだと思いました。」
「よくわかりましたね。
やはり霊界の人は気づきが早いです。」
「そうなのですか。
きれいな光が見えてきました。」
「そうですか。
それが今の心の反映なのだと思います。
ご自分の今の本当の気持を探ってください。
ひとりになりたいですか?」
「私はひとりになるのが怖かったのでしょう。」
「そうなのですね。
今はどうですか?」
「ひとりにならなければわからないことがあると知りました。」
「そうなのです。
ひとりになると、ご自分の中に広い世界が広がっていることがわかります。
やってみますか?」
「私がひとりになったら、この人たちはどうなるのでしょう。」
「待ってもらえばいいと思います。
待ってくれないなら、愛しているとは言えません。」
「それではそう言いましょう。
私を待ってくれるそうです。」
「良かったです。
ひとりになってみますか?」
「私をひとりにしてくださいと言いましたら、皆が遠くに逃げて行きますが、大丈夫でしょう。」
「はい。
ご自分の本当の気持を探ってください。
今、何を感じていますか?」
「私をそっとしておいてくれたから、もう行っていいのかと思いました。」
「どういうことですか?」
「私をそっとしておいてくれるようなら、出て行ってもいいけれども、もう行かないでと言われるようならもう行かない方がいいかもしれないということです。」
「なるほど。
他に何か感じていますか?」
「私のことを愛していると言っていた人々は、どうなったかと思います。」
「待っているのではないですか?」
「私を待っているのは、人に群れているのがいいからということかもしれません。」
「愛について不安なのですか?」
「あの人たちの愛が本物かどうかが知りたいという気持です。」
「あの人たちの愛は本物ではありません。
だから薄暗いのです。
本物の愛を持っている人たちは、明るいところにいます。
あなた様自身が本物の愛を持っていたら、そこへ行くのです。
今薄暗いところにいる人たちも、心の中が本物の愛になったら、そこへやってきます。
それはひとりひとり自分の責任で、自分で進歩するしかないので、人のことを考えないで自分のことを考えないといけません。
本物の愛を持っている人たちは、あなた様を待っています。」
「そうなのですか。
それでは私がひとりで行ってしまっても、あの人たちは大丈夫なのですか。」
「そうですよ。
また他の人を探すかもしれませんし、がんばって自分も成長しようと思うかもしれません。
心の成長は自分ひとりでしかできません。」
「私を思ってこのようなところにいるから可哀想だという気持ですが、それぞれが自分の責任で進んで行くのですか。」
「そうです。
だから手を引いて歩くようなこともできません。
自分で気づいて、自分で進もうと思って進むしかありません。
そうしてくださいと言ったら、そうすると言う人もいるし、自分はそうしたくないという人もいますが、その選択も尊重してあげないといけません。
それが愛です。」
「そうなのですか。
ひとりひとりがそのように行くのですね。」
「そうです。
いつどのようにして成長するかも、ひとりひとりの自由です。
自由を尊重するのが愛です。」
「そうですか。
私が行ってしまったら一緒に行くという人がいればいいですが、一緒に行かなくても後から来ればいいと思います。」
「そうですね。
どうするかは自由なので、その自由をあなた様は認めてあげないといけません。
そしてご自身がどうするかはご自身の自由なので、その自由をご自身で選択してください。」
「わかりました。
私は行こうと思いました。」
「はい。
もっと大勢の人たちが明るいところで待っているはずです。」
「わかりました。
それが私の使命なのかもしれません。」
「使命かどうかはわかりませんが、誰もが自由なんです。」
「そうなのですか。」
「はい。
それでは明るいところに行きたいので、誰か来て下さいと言ってください。」
「わかりました。
それでは、どうかこれからもどうぞよろしくお願いしたいと思います。」
「いいえ、明るいところに行ったら終ります。
誰か来てくれましたか?」
「私を案内しようという人が現われてきてくれました。」
「その人について行ってください。
もしもあなた様の心の中が明るくて、明るい世界にふさわしければそのまま連れて行ってくれると思います。
もしもだめだったら、次回にまたお話させていただきます。
がんばってくださいね。
はじめのころよりは、きっと良くなっていると思います。」
「そうですか。
暗くはなくなったかもしれませんが、まだ薄暗かったのでがっかりしましたか。」
「そうでしたね。
でもやはり、お話しないといけないと思いました。」
「そうですか。」
「それではまた、様子を見させていただきます。」
「ありがとう。」
「はい、ありがとうございました。」
このようになりました。
周りの人のことが、とても気になっていたようでした。
続きます。
画像は、公園で実が生っていたクロガネモチです。