公園で咲いていた、エゴノキです。
何かや誰かに不満を持っていませんか?
例えば、もっと尊重されたい。
もっと愛されたい。
もっと理解されたい。
そして、誰かがもっと尊重してくれないといけない、もっと愛してくれないといけない、もっと理解してくれないといけない、そう求めていませんか?
今までに何度も書いてきましたが、自分は世界です。
そうすると、「誰か」というのも自分です。
だから誰かを待っていないで、自分がやればいいんですよ。
自分は世界だということについては、ここで書きました。
思いやりは程々に
世界は自分、みんな自分の一部という感覚があれば、何もしないでも思いやりになっています。
世界は自分の家で、自分の体
世界が自分の家なら、世界への見方も変わるでしょう。
人への見方も変わるでしょう。
誰かに尊重されたいけれども、思うように尊重してもらえなくて不満だ。
それは自分が、自分を尊重していないという意味なんです。
試しに、自分で自分をもっと尊重してみてください。
今、自分を十分に尊重していますか?
えっ・・・?
尊重してるはず・・・?
もっとよく考えてください。
今、自分をこれでもかと言う程、もう足りたという程、尊重していますか?
きっと、しっかり尊重できていないはずです。
自分に不満を言ったり、自分を認めなかったりしているはずです。
自分への不満や、認めていないところを、根性で受け入れて認めてみてください。
根性!
すると受け入れて認めた分だけ心が満たされて、誰かに尊重されたいという気持は少し小さくなったと思います。
不思議でしょ。
もっと愛されたい人は、自分が自分を愛していないんです。
もっと理解されたい人は、自分が自分を理解していないんです。
人への不満は、実は自分への不満だったのでした。
人に不満を感じたら、自分への不満なんじゃないかと考えてみるといいですよ。
世界は自分だからです。
この試しをくり返すと、人への不満や自分への不満が、次々と消えて行くと思います。
やってみてくださいね!