公園で、まだ残っていた紅葉です。
普段からご相談を受けていると、人や親や世の中や結婚や神が幸せにしてくれるのを期待している人が多いと感じます。
大人になっても子供の続きを生きていて、誰かや運命が自分を幸せにしてくれる道を探しています。
幸せというのは、自分でなるものだということが、心理的に大人になるとだんだんとわかってきます。
同じ境遇に立たされても、自分から幸せになることを選択する人と人に幸せにしてもらおうとする人とでは、結果がまったく違ってきます。
このことに気づくのが、精神的な成長でもあると思います。
それはそうなのですが、気になったのはなぜ多くの人が人や親や世の中や結婚や神が幸せにしてくれるのを強く期待しているのかということです。
それで、教育によって、自分は無力だと徹底的に教え込まれているのだなあと思いました。
完全に管理されて身動きできない教育のシステムがたったひとつだけ存在していて、他を選択することはできません。
拒否することもできませんが、それでも無理矢理拒否すると人生の落伍者になります。
性格によっては適応できる人もいるわけですが、嫌な人にとっては、これ程の恐怖制度は人生上最大の拷問だと思います。
集団教育では、自分の意志にかかわらず全てのことが管理によって流れて行きます。
そこで子供が受け取るメッセージは、毎日毎日、自分の本当の気持に従ってはいけないということで、そうするとほめられます。
自分の本当の気持に従うことを悪と教えられた子供は、自分を否定することが良いことだと思い、自分よりも学校や先生に価値があって自分には価値がない、自分に価値があると思ってはいけない、自分には自分で幸福になる力がないと思うでしょう。
そして口先では友達を思いやりましょう、人を尊重しましょう、命を大事にしましょうと言いながら、実際にやっているのは子供達への完全管理と支配とコントロールという暴力なのですから、子供たちを思いやり、尊重し、命を大事になどしていると言えるでしょうか。
自分たちにも親にも子供にもわからないように、にこにこ笑顔で下を向かせないで手錠をかけているようなものです。
それに騙されない子供が、学校で荒れているのではないかと思います。
自分が無力だと思っているから、自分の力で幸せになれることに気づかずにまた自分で幸せになる方法がわからずに、人や親や世の中や結婚や神が幸せにしてくれるのを強く期待して空回りしてしまうのだと思います。
子供はある程度、大人と比べて自分は劣っていると思うのは普通でしょうが、それが強すぎるのは教育による無力感の刷り込みがあると思います。
こんな教育システムを受け入れさせられて、まんまと骨抜きにされてしまった人がたくさんいるのが大人の世代ですが、今は身を呈して登校拒否をする感受性の強い子供達が増えているように思います。
自分の本当の気持に従うことを教え、自分に価値があって自分で幸福になることができることを教え、その方法を教えるのが教育ではないでしょうか。