今年も、さっき煮しめを作りました。
冷めてから、買って来たいろんな材料も重箱に詰めて、うちの中で一番涼しい玄関に置いておきます。
おせちが好きじゃないと言っていた息子が、今ではその方が楽ができるからとおせちをたくさん用意して欲しがるようになりました。(うちは息子がごはんを作っています)
だから三が日分、たっぷり作りました。
前回の記事では、3次元から4次元への移行を怖がって、世界の終わりと言っていると書きました。
でも世界の終わりに対する恐怖の中には、死への恐怖もあるのだろうと思います。
私は今では死は恐くありませんが、死の前に苦痛があるのは嫌だなあとは思います。
私は今までの人生上で、2回、危険な目に遭って気を失いました。
1回目は子供の時、海水浴場で大人用の浮き輪から抜け落ちてしまい、海の中で気を失って助けられました。
2回目はバイクで転倒して、眠りから覚めるように気がついたら路肩に座っていました。
それで、人間というのは命の危険がある場合は気を失ってしまうので、きっと苦痛は感じないで死ぬんだろうなと思うようになりました。
シルバーバーチも、本の中でそう言っていました。
もし感じたとしても、注射みたいなもので一瞬で終わりだろうと思います。
死の時よりは、死んだ後のことが恐いのかもしれません。
それは、死んだら無だと思っているからだと思います。
死んだら無だと思っているなら、死後もありませんね。
私が霊を感じたのは中学3年の時で、一緒に暮らしていた祖母が亡くなってからしばらくの間、視線や気配を感じて仕方がありませんでした。
そこには誰もいないんですが、誰かがいる時と同じ感じがするんです。
その時初めて、死んだら霊になるというのは本当なんだなあと思いました。
それから時々、ちょっとした霊的な感覚があったり、私が今みなさんにお伝えしているカルマ浄化の祈りを始めてからは神仏とやり取りできるようになったりしました。
それで神仏や霊が存在していることは確かなことになりましたが、死についてはよくわかりませんでした。
「シルバーバーチの霊訓」の霊媒のモーリス・バーバネルが、死は全く恐くないと言っているのを読むと、そこまでは思えないなあと驚きました。
私は神仏には興味がありましたが、霊や霊界については関心がありませんでしたから、ほとんど何も知りませんでした。
ところが、2009年にとても好きな武将(源義朝)の供養をしたら、どうしても長く話したくなってがんばって話をしているうちにだんだんと霊感が開いてきました。
それからいろんなことがあって、霊とぺらぺら話せるようにまでなりました。
そしてみなさんのお宅の先祖供養をさせていただくようになって、供養のために霊と話すようになりました。
霊のことや霊界のことがよくわかるようになって、だんだんと死への恐怖はなくなったように思います。
私は霊と話しながら全部入力しているので、先祖供養を申し込まれた方にはそのままお伝えしています。
そうすると、その内容を読まれた方も、死ぬことが恐くなくなってきたと言われます。
知ることや実感することで、信じることができるようになるのだと思います。
死とはどういうものだろうか死後はどういうものだろうかと思われる人は、こうするとわかりますよと言えたらいいですが、他のことみたいに簡単な方法がぱっと見つからないので、私の供養中の霊との会話の様子を祈ららのホームページからひとつ紹介します。
【霊】私が何を考えているかということについて、お話しさしあげれば良いのですか。
【私】そうです。
今は普段、どんなことを考えていらっしゃいますか?
このようなことが起ったのがめずらしいことだと思っていますが、あの子がこうしてくれたのが、うれしいのですが、このような状況が見えたからには、伝えねばならないと思われているようなのです。
そうです。
(坊主頭の少年の姿の)あなた様が神社かお堂のようなところに座って、じっと考え込んでいらっしゃる姿が(読経中に)ずっと見えていました。
それが私の少年時代の様子かと思われながら見ていたようなのですが、今がそうなのです。
そうでしたか。
いつも何を考えていらっしゃるのですか?
私が何を考えていたかは、わからずじまいだったのです。
そうです。考えていることを知ろうとはしませんでしたから、わかりませんでした。
それでは行っていただきたいのです。
そうします。
あなたが為したのはそのようなことなのですが、まだわからないようなのです。
このような一瞬では、現界の者にはよくわかりません。
それではもう一度お願いしたいのです。
将棋のようなゲームの勝ち方を考えていらっしゃるように感じました。
それが私の一日の姿なのですから、それが楽しみとなっているのです。
楽しみなのですか。
私は何か寂しく思っていらっしゃるのかと思いました。
それは違ったのです。
ゲームをして過ごしていらっしゃるのですか?
毎日がそうなのですかと言いたそうなのですが、(霊界に昼夜の区別はなく1日という単位もないので)毎日ではないのだと思い直したのですが、その通りです。
ずっとこの通りなのです。
楽しんでいらっしゃいますか?
それがそのように見えないようなのですが、それでいいと思います。
ご自宅はどのようなところか、お見せいただけますか?
それが見えれば良いのにと思われたのですから、ご案内しましょう。
はい、お願いします。
あなたがお考えの様子とは違ったようです。
そうでした。
私が考えたのは、現代的過ぎました。
私の家はこのような木造でできた、いい家なのですが、そのような白い塗り壁ではなかったのです。
そうでした。
中を見せていただいていいですか?
お入りいただけないのです。
そうですか。
あまりにだだっ広いので、何もしていないのです。
そうですか。そのだだっ広さはわかりました。
それが私の家なのですが、残念に思われたのです。
そうですね。
いつもはどこで過ごされていますか?
その部屋がないのです。
部屋がないのですか?
全部が畳ではなく土間なのですから、寝ないのです。
なるほど。
(霊界では)寝る必要がないからですね。
それがいいと思えばできるのですが、できようと思えないのです。
できようと思えないのですか?
私が言いたいのは、できたいと思えないのですから、これがいいのです。
そうでしたか、わかりました。
何か嫌なことはありますか?
私が思っていたのが大体おわかりだったようなのですが、腹が立つことがあれば、なかなかやりにくいことになろうかと憶えていただきたいのです。
このようなことがなる程と思われたようですが、私が腹が立つのは何のことかと言えば、私のことをどうにもならない者だという者がいると、嫌な気分になりはすれども、何ともできないが為に、悶々とするのです。
周りに悪く言う人がいるのですか?
それができればまだいいのですが、(霊界では)言うのではなしに思うのです。
わかりました、そうでした。
(霊界ではテレパシーが働くので、思ったら言ったことになります)
悪く思う人がいるのですか?
それが長くなると、嫌な気分が続くのですから、嫌なことが起こっているということです。
そうですか。
何ともできないのは、なぜですか?
そのような智恵の持ち合わせがないが為に、何も言えないと似たようなことになります。
そうですか、それでくやしい思いをされるわけですね。
それが嫌な気分となると、長く続くのだから、しんどいのです。
わかりました。
○○○○様に何か仰りたいことはありませんか?
このようなことがされたのが、大変なありがたさと感じましたから、ありがとうと言いたいのです。
そうですか。
私は供養が重く感じたので、またくり返して供養されるようにおすすめしようと思います。
それが良いと思われたのですか。
それが為されたら良いとは思いますが、あまり気にせずとも良いと言っていただきたいと思います。
わかりました。
そのようにお伝えします。
他にも、少しですがこのページでお読みいただけます。
もっといろいろ読みたい人には、こんな本もおすすめします。
大晦日に、死の話になってしまいました・・・。
お正月は、帰省とお墓参りのシーズンでもありますから、まあいいか・・・。
死は、霊界からするとお祝い事です。
今年も1年、ありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えくださいね。
暖かくて穏やかなお正月になりそうで、良かったですね。