公園で咲いていた、ベニバナハナミズキです。
親離れのお話を探してみました。
ウルトラマンとかゴジラとか、怪獣退治のお話は親離れの練習になっています。
怪獣は、親離れをさせまいとする良くない母親の象徴になっています。
ウルトラマンは毎週怪獣を退治しますが、遠い星からやって来て用が済んだらまた帰って行きます。
ということは、自分で怪獣を退治しているのではないわけですね。
まだ恐くて、自分で親と戦う程の力がないということなんでしょうね。
ゴジラは、大人が寄って集まって何とかするのでしたっけ。
というとその方が、自分でやっているという感覚にはなるだろうと思います。
私はゴジラは自分では1話しか見たことがありませんが、どこかに封じ込めていたように思います。
完全にやっつけることはできないで、問題に取りあえずふたをした状態のまま祈るというような感じだったと思います。
この状態の方が、日本人の心の特性を微妙に表現しているように思います。
ゴジラを母親の象徴だと考えて母親に置き換えて考えてみると、母親と戦ってやっつけてしまうようなことができない、優しい日本人男性のイメージが浮かび上がってくる気がします。
西洋ではドラゴン退治などで完全にやっつけてしまうのがパターンですが、だから日本は良くないのかと言うとそれはわかりません。
そこから先にいい道があるならそれでいいのだろうと思いますが、それはこれからの人が作って行くことになると思います。
今までのところは日本人は未熟で親離れが困難なのが一般的でしたが、これからは欧米の人と同じように親殺しの道を行くのか、東洋人には東洋人らしい親離れの道があるのか模索して行くことになるのかもしれません。
親離れができないお話として思い浮かんだアニメは、ドラえもんです。
困ったことがあるといつも助けてくれるドラえもん。
自分で物事が処理できないので、代わりにやってくれるウルトラマン(やヒーローもの)などと同じような感じです。
ママはまだ怪獣化していませんが、子供だから太刀打ちできません。
子供だから、まだ準備ということでいいのだろうと思います。
でも、大人になってもこのままという人がいませんか?
日本武尊は、浦賀水道で弟橘姫命を失います。
父親の景行天皇との関係が、うまくいかなかったらしいと言われています。
最期は伊吹山で毒に遭い、鈴鹿までたどり着いて亡くなりました。
現実のことはよくわかりませんが、これらのキーワードからすると親離れできていなかったヒーローなのだなと推測します。
源義経は平家追討で活躍したにもかかわらず、兄の頼朝と不仲になって殺されてしまいます。
義経は父親の義朝を知りませんが、母親は常磐御前です。
どのような育てられ方をしたかはわかりませんが、吾妻鏡などによると、戦いは得意だけれども人間関係が下手でした。
義経は人間的な成熟が不十分だったので、親離れができていないのと同等だったのだろうと推測します。
ここまでは親離れの練習や失敗のお話でしたが、成功のお話もあります。
昔話の桃太郎は鬼退治をしますが、これも親離れの象徴と考えることもできると思います。
鬼退治の前に、犬、猿、キジを仲間にするのは、人間関係の技術が成熟してきているということでもあります。
人間関係が上手にこなせることが、親離れの為に必要な能力にもなります。
親と離れて他の人と良い関係を作ることが、親離れでもあるからです。
その人間関係の技術が、当の親とも良い結果をもたらします。
そしてその仲間と共に、鬼退治に成功します。
どちらかと言うと日本には少ないタイプのお話かもしれませんが、もっと成熟すると鬼を退治してから獲得するのが自分が結婚すべき女性になるのだろうと思います。
桃太郎のお話は、親離れのお手本になりそうです。
日本人は怪獣化した親を殺してしまう程の親離れを好まないところがあって、日本武尊や源義経のような性格が悲劇のヒーローとして人気があります。
反面、いくらでもやってくる怪獣を退治するヒーローや、果てしなく戦い続けるヒーローのお話が人気になっているのは、もしかしたら強く葛藤しながらもそれで親離れが進んでいるということなのかもしれないと思います。