公園で咲いていた、レンギョウです。
親離れしたり、人に求めてばかりを卒業して愛することができる人になるために、常識から離れることをたびたび書いていますが、常識ってどういう波動なのでしょうね。
常識は、黄色の波動と思っていて良いと思います。
黄色のオーラまでの人にとっては常識豊かになることが目標になりますが、グリーンのオーラの人からは常識から離れて自分で考えることが目標になります。
常識から離れると言っても、常識を一切捨て去ってしまうわけではありません。
良いところは残して、古くなったところだけ使わないようにすることになります。
※ オーラについては、霊界の構造カテゴリーをお読みください。
常識というのはこの世式の物質的な生き方の理想形ですから、常識豊かに生きることがこの世に上手に適応して物質的に豊かに生きることになります。
人はこの世で物質として存在して生きているのだから、物質的にしっかりと生きることができるのがはじめのうちの目標になるのが当然です。
でもそれができた人は、物質的な安定の上に心の豊かさを積み上げて行くようになります。
精神的な性格の人は、最初から物質的な生き方が嫌いで精神的に生きたいと願って、常識豊かになるのに抵抗を感じることも多いと思います。
でもそこを途中までに必要な技術として何とか合わせていくことができればいいですが、それが苦痛でできない人は、この世では物質的な豊かさを享受することが苦手ということになるかもしれません。
でもその反面、心の豊かさが計り知れない程だという人は大勢いると思います。
精神的な分野の人や内向的な人がそうなりやすいですが、本当に不器用なら仕方がないかもしれませんが、なるべくなら物質的に生きる能力もある程度身につけると楽だと思います。
※ 内向的な人については、心の構造カテゴリーをお読みください。
常識を理解して身につけて上手に使うことができるようになると社会でスムーズに生きて行けるようになりますから、黄色のオーラまでの人は、せっせとそのように努力するのが人としての善い生き方だと感じていると思います。
黄色の波動までは基本的に利己的ですから、常識も常識にとって善いという内容になっています。
社会の為やみんなの為にはいいけれども、個人の為にはどうかと考えると、個人は社会やみんなの一部なのだからそれでいいはずだと考えています。
それでいいはずだから、個人は社会やみんなの為に自分のことを犠牲にするのが美徳と思っています。
常識や社会やみんなの為に自分のことを犠牲にしてでも合わせてきたことに対する報酬として、物質的な豊かさが与えられているという面があります。
だからみんな知らず知らずに、何かうまくいかないことがあると自分が我慢すればいいのだと考えるようになるのですね。
これは常識や社会の利己性だと気づきましょう。
本当に善いのは、社会から見てもみんなから見ても個人から見てもいいのが善いのです。
常識は、個人の為にいいことを教えてくれるほどにはまだ成熟していません。
常識は人間のことを物質で社会のねじの1個のように思っているので、人間の心を豊かにする方法がよくわかりません。
私たちの親の時代の常識やしつけは、今では半分虐待でした。
親の親の時代の常識やしつけは、今では虐待であることがかなりあります。
最近私が読んだ80年前の心理学書には、生まれたばかりの赤ちゃんが泣くからと言って抱いたりおむつが濡れて泣くからと言ってすぐにおむつを換えたりするとわがままになると書いてありました。
自分がある程度まで成長したら常識を追い越す時がやってきます。
常識離れは親離れするのと同じことです。
それに常識もだんだんと成長しますから、いつまでも常識に足並みを合わせているといつの間にか常識に追い越されてしまいます。
いつの時代でも、シニア世代はそうなっていますね。
今の常識は黄色の波動ですから、親離れをして人や社会に求めず愛することができるグリーン以上のオーラに成長したいと思ったら、常識を追い越して常識の良いところは残しながら常識から離れて自分で感じて考えて判断することを増やして行きましょう。