公園で満開になっていた桜です。
霊感を信じていると霊感が出てくると書きましたが、信じると言ってもそれが難しいのだと思います。
目の前で見たり経験したりしないものは、なかなか信じられませんね。
それでいいと思います。
目の前で見たり経験したりしたものを、こんなことあるわけないと言わないで、よくわからないけどそういうこともあるのだなと思ったり、あってもいいのかもしれないと保留したりするのがちょうどいい反応ではないかと思います。
そういうことが何度も何度も積み重なって行くと、だんだんと信じる気持が強くなって行くのだろうと思います。
これは信じていい、これは違っているんじゃないかというような、取捨選択も少しずつ自然にできるだろうと思います。
あまり一生懸命に信じなければと思う必要はありません。
英米のスピリチュアルでは、こういう時に「許す」という言葉を使うのが好きなようです。
自分に霊感があることを「許す」ようにしましょうと言うみたいですね。
それもいいと思います。
「信じる」よりも力が抜けていいかもしれません。
もし「信じる」という言葉を使いながらもっと正確に表現すると、「自分には霊感がないとは信じない」という方が実感に近いかもしれませれん。
霊感がないというのは、世の中の常識などから教えられたことを受け入れて信じている状態ですからね。
これから信じるのではなくて、教え込まれたことを信じないという方が感覚的に自然です。
でもきっとこのブログを読んでくださっているような人は、しっかりではなくても誰にでも霊感があるのだろうと信じ始めているか信じているのだろうと思います。
そんな感じで十分だと思います。
そしてこれからも霊感に興味関心を持ち続けていたら、そのうち、自分でもこれをやってみようと思うことが出てくるかもしれません。
何かスピリチュアルなことを実践してみると、今まで心の中で受け入れて来た分だけの霊感はすぐに出てくる可能性が高いと思います。
少し信じたら少し霊感が出てきて、また少し信じる。
また少し信じたらさらに少し霊感が出てきて、さらに少し信じる。
それをくり返しているうちに、だんだんと信じる気持も霊感も強くしっかりしたものになって行くのだろうと思います。
私はそうでしたよ。
こう思わなくてはいけないとがんばり過ぎると、自分を否定することになってしまいます。
無理しないで自然に現実的に、一歩一歩確かめながら進んで行くのがいいと思います。