須佐之男命にまつわる諸説

20141230-3

蘇民将来(そみんしょうらい)のお話を書きましたが、蘇民将来も巨旦将来(こたんしょうらい)もアイヌ風で朝鮮風の名前ですね。

須佐之男命は朝鮮半島のソシモリというところから来たと言われています。

蘇民将来のお話がモーゼの過ぎ越しの祭りにそっくりで、ソシモリの前はユダヤ系ではないかという人もいます。

須佐之男命は八幡の神と言う人もあります。

八幡の神については、私は中野幡能(なかのはたよし)さんの、秦(はた)一族が元々持っていた母子信仰が起源という説が感覚的にピンと来ていて、鶴岡八幡宮のパンフレットの中でもその説が書かれていました。

その母子の子が、須佐之男命だという説です。

その母子の子は弥勒(みろく)信仰とも結びついていて、母子としては聖母マリアとキリストと重なります。

また大本教では、須佐之男命が弥勒だと言っています。

八幡宮は秦一族の氏神で、秦一族を讃える「いやはた」→「弥秦」→「八幡(やはた)」となって行ったという説があります。

また「ヤハウエ」が「八幡(やはた)」に変化したという説もあります。

秦一族は景教徒(キリスト教のユダヤ人)という説があります。

須佐之男命はヤハウエだという説もあります。

また、須佐之男命は牛頭天王(ごずてんのう)であり、牛の神と見られています。

キリスト教はバアルという牛神信仰を弾圧しましたが、これはキリスト教の内部紛争だと見る説があります。

これらのことはどれも確定ではなく「一説」でしかありませんし、こういったことは後から間違っていたとなることが多いような気がしますが、昨日、蘇民将来のお話について書いたので、今のところこういうことが言われているということも書いておこうと思いました。

本人に聴けばいいのかもしれないなあと、今、はじめて思いましたが、教えてくれるかどうかわかりません。

それでは今年もあと数時間になりました。

良いお年をお迎えになられますよう、お祈り申し上げます。

写真は、公園で植えられていた葉ぼたんです。

まだパンジーと同じ位ですが、これから大きくなるんですね。

コメント

  1. たぬき より:

    八幡。
    語源は、魏史倭人伝の世界、時代が関係しているようです。
    魏史倭人伝に「邪馬台国の女王卑弥呼」(=豊・都万連合王国の女王、宇佐豊玉媛)が魏に使節団を派遣して、
    魏の後ろ楯を得るため属国となった際に魏の八流の錦の御幡を賜り、
    宇佐宮にその八流の魏の御幡(魏の後ろ楯を得て属国となった証)が翻った。
    使節団を贈り、魏の権威、後ろ楯を得てまで属国となったか?
    所謂、「神武東征」に脚色改ざん集約された
    大和の王朝並びに出雲王国を攻め滅ぼすための準備のクライマックスが魏の後ろ楯と権威を得て協力者たちの士気と団結を強固にするため?。
    この後に宇佐豊玉媛女王は全軍を率いて勇躍、出師しましたが、
    思わぬ伏兵の吉備王国軍に行く手を阻まれ大苦戦を強いられ足止め状態に陥り、その最中にまさかの総帥、豊玉媛女王が陣中で崩御(死亡)してしまいます。
    遺体は宮島に仮埋葬されて、征途軍は一旦撤退して態勢の建て直しを余儀なくされました。

    • ひかり より:

      たぬき様、大変ご親切に教えていただきまして、ありがとうございます。

      その後、斎木雲州さんと谷戸貞彦さんの著書を読ませていただいて、私も同様に理解して、須佐之男命についてもかなり納得できています。
      このお二方の情報は、素晴らしいです。