少し前にテレビで、無縁墓について放送していました。
核家族化が進んで生まれ住んだ土地を離れる人が多くなって、お墓を守る人がいなくなっているそうでした。
それでお墓を処分して合同墓地に入れ替えたり、お墓そのものを持たない考えの人も出てきている様子でした。
亡くなった本人は霊になっていますから霊のことを考えてみると、霊自身はお墓や遺骨は必要ではありません。
必要なのはこの世の人で、何か故人の記念のものやコンタクトするための専用の場所が欲しいのだろうと思います。
その番組の中で、お墓参りをする人は80パーセントだと言っていました。
お墓が故人と交流できる場所というイメージが、定着しているのだなあと思いました。
私の感覚では、故人と交流するのにお墓でなければならないことはないと思います。
お仏壇で十分ではないかと思うのですが、お骨がそこにあったり大きな石が置いてあったりするのが、特別な価値なのかもしれません。
人の心は物事を象徴的にとらえる性質がありますから、場所や物があることで気持が安定することは確かです。
そういう為になっているということを理解していても理解していなくても、それぞれが気持の落ち着くようにするのがいいのだろうと思います。
お墓を処分などして、不幸になるのではないかと心配する人がいるかもしれませんが、愛情に満たされた行為ならそんな心配はないと思います。
でも「不幸になるのではないか」などという自分中心で利己的な考えでいるのなら、いろいろな物事が悪い方向へ回って本当に不幸になるかもしれないと思いますが。
【須佐之男命】それでどうすればいいのかが言わねばならぬとしたら、それはそれでどちらでも良いと申そう。
【私】そうでしょうね。
便利なように為せば良いと思うたか。
そう思います。
それではそのように言えば良いと思うたが、それは何よりもしたい者がしたいようにするのが一番だと言わせてもらおう。
そうですね。
写真は、公園の落ち葉です。