出雲伝承による、大神神社のはじまり

ツラン(今のアフガニスタンあたり)からバイカル湖畔を経由して、1万数千年前から少しずつやって来ていた日本人は縄文人として生活していました。

3000年位前には出雲族が到着し、出雲族が日本で最初に王制をはじめました。

そこへ紀元前219年頃に秦から来日した徐福が、スサノオで火明でニギハヤヒです。

徐福の先妻の子が五十猛(イソタケ)で、丹後の海部(あまべ)氏や尾張(おわり)氏の先祖です。

徐福の北九州の妻の子がヒコホホデミで、物部(もののべ)氏で天皇の先祖です。

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このストーリーの最初の記事はこちらです。

日本人のルーツは、バイカル湖経由のツラン文明
地球最古の文明はシュメールだと言われています。けれどこれは違っていることがわかっているそうで、シュメール以前があるのだけれども、今現在はそれがどこの何人かがわからないのだそうです。

このストーリーは出雲古老の伝承を元にして書いていますが、伝承なんて~という人のために、伝承の信憑性について説明しておきたいと思います。

宇佐公康「宇佐家伝承 古伝が語る古代史」ではこのように書かれています。

「古代の日本には、記憶・口承によって、有力氏族の系譜や説話を歴史として語り伝えていた語部(かたりべ)という部族があった。
この語部は、部族としての組織をもっていて、記憶・暗唱を、歴代、専門の業とするひとつの職業共同体であった。
古代の歴史を記憶暗唱して、代々、語り伝えた語部は、日本列島に原日本人が住みついて、部族のムレ(群)、すなわち、集団が発生して、それらが地方に分布して、ムラ(ムラ)やクニ(国)をつくるにともなって、氏族のなかに組織的に包合統一され、地方に豪族が起こるようになってから成立した。
それは紀元前数千年前の縄文文化の時代にはじまり、弥生文化の時代を経て古墳時代に至り、八世紀にまで及んでいる」

語部(かたりべ)という言葉は造語のように思っていましたが、本当にあった職業集団ということです。

考えてみたら、綾部、物部、渡部などと同じ部でした。

だから本当の歴史というのは、書物になって残っていなくてもそういう人達が代々職業的な専門性を持って語り継いできたということらしいです。

とても頼もしいことだと思いました。

もちろん出雲でも、そのようにして語り継いできたということです。

25年位前に、元産経新聞社員の「トミ」さんが出雲の伝承を一部公開した本を読みました。

トミさんは、伝承を丸々暗記させられたと書いてありました。

今でも出雲王家子孫の家では、伝承を暗記して語り継いでいます。

出雲から三島(高槻市)、葛城へと移住した事代主の子のクシヒカタは、出雲の太陽の女神と父の事代主(大物主)を三輪山に祀りました。

これが大神(おおみわ)神社のはじまりです。

また三輪山北西の狭井座(さいにいます)神社(現在の通称・狭井神社)には出雲の幸(さい)の神三神である久那斗(くなと)の大神、幸(さい)姫命、猿田彦を祀りました。

太陽の女神は天照大神(あまてらすおおみかみ)と呼ばれるようになり、後に大神神社から出て伊勢内宮に祀られました。

ですから、天照大神は天孫系の先祖ではなくて出雲の神です。

大神神社は三つ鳥居が有名なのですが、幸の神三神を表しているようです。

現在の大神神社のご祭神は、大物主大神 (おおものぬしのおおかみ、倭大物主櫛甕玉命)です。

現在の狭井神社のご祭神は、主祭神:大神荒魂神(おおみわのあらみたまのかみ、大物主神の荒魂)配祀:大物主神(おおものぬしのかみ)、媛蹈鞴五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)、勢夜多々良姫命(せやたたらひめのみこと)、事代主神(ことしろぬしのかみ)となっていて、サイノカミは入っていません。

つづきます。

この記事は、次の本を読んで書きました。超おすすめ本です。

50年後には、出雲の伝承が日本古代史界のスタンダードになっているだろうと思います。