インドの仏典等によるイエスの生涯

20161025-2

これから書くイエスの生涯についての内容はとてもリアルで、オムネクさんの話よりもさらに親近感を強くしました。

こんな人だったのかあと、ようやく実在したひとりの個性ある人としてのイメージが伝わってきました。

イエスがインド方面に出かけたということは時々色んなところに書いてありましたが、バラモン教を嫌って仏教に共感していたとは驚きました。

イエスは反抗的で、急に好きかもしれないと思いました。

メシアと呼ばれるのを嫌ったのも、よくわかります。

誰かが誰かを救ったり身代わりになったりなどできないからです。

ウィリアム・ブラムリー『エデンの神々』からの要約と引用です。

エッセネ派は〈教団〉(イルミナティ)のパレスチナ支部だったようです。

けれどもイエスはインドのマヴェリック(仏教)に影響されて、エッセネ派の支援者たちと対立する考えを持っていました。

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エッセネ派の男子は5歳で修道院に入って教育を受けるのが普通だったので、イエスも10代までは地中海沿岸のハイファ付近のエッセネ派共同体にいたようです。

12歳でバル・ミツバー(13歳男子の成人式)に備えてエルサレムに出かけた時、途中でヘブライの学者たちと論争します。

その後のことは、インドのヒミ大修道院で発見された仏典に“イッサ”という少年の記録が残っています。

イッサは14歳でパキスタン西部シンドゥ付近のアーリア人居住所に移住して、バラモン教の白司祭たちに歓迎されます。

しかし、イッサはバラモン教に対して強情で強硬に糾弾し、ヴェーダとプラーナ(サンスクリット語聖典)は神からの霊感ではないと主張します。

白祭司や武士に殺されそうになったイッサは、仏教国に逃げ込んで仏典を研究し、6年後には「経巻を完璧に解釈できる」ようになりました。

そして15年後、パレスチナに戻りました。

まあこんな子供は、イエス位しかいないでしょう。

「経巻を完璧に解釈できる」というのは、悟りを開いたということを意味します。

仏教の経巻(お経)というのは、悟りについての説明ですから。

マリアからして2代続けて宇宙人の系統なのなら、最初から悟っていたかもしれませんが。

イエスはマヴェリック(仏教)のような真の霊的科学をパレスチナに導入しようとしていました。

「その結果、自分を後援する〈教団〉ネットワーク内で反逆者になった。
イエスの最大の誤りは、いくらエッセネ派修道会に親友や親族が数多くいたにせよ、腐敗した〈教団〉ネットワークのルートでマヴェリック宗教を広められると信じていたことだ」

エッセネ派の後援者たちはイエスをメシアだと宣言したがりましたが、イエスはそれを禁じました。

しかしエッセネ派の一部やカストディアンの“天使たち”の一部(イルミナティの宇宙人たち)がイエスをメシアだと宣言して、イエスは追い込まれ十字架にかけられました。

「イエスの唯一の望みは、エッセネ派修道会とその教えから決別することだった。
だが、そうできなかったわけは容易に見てとれる。
イエスの生涯と家族友人が、この組織と一体になっていたからだ」

オムネク・オネクさんは、イエスは人々への哀れみに負けたと書いてありました。

それがカルマとなって十字架で苦しみながら死ぬことになって、そのカルマはそれで解消はされたけれども、将来はイエスが救ってくれると思ってすがる人がいなくなるまでイエスのカルマは終わらないことになったと書いてありました。

オムネクさんの言う哀れみは意味がちょっと違っていたかもしれませんが、大体は一致しています。

つづきます。