須佐之男命が「神々はただの宇宙人」と言う

20160203-2

公園でミモザのつぼみがついていました。

前回の記事ではヤハウェが宇宙人だという、ゼカリア・シッチンの説を紹介しました。

前回の記事はこちらです。ゼカリア・シッチン「神々との遭遇」

その記事を書いたら、次はこれと思い浮かんでもう頭から離れなくなって他のことが考えられなくなったので、今日の記事を書きます。

こういうのは、あちらから「今これを書いて!」という強い意志が伝えられているように思うので、仕方なく・・・。

これは去年の節分の、須佐之男さんとの会話です。

【須佐之男命】人間のひとりであると申せばショックであろうか。

【私】もちろんです。

それはその通りとは言えぬが、そのような者であると言えよう。
宇宙から来た者が神のようであったから神と言う概念が生まれたと申そう。

そうなのですか?

それでは何が言えようかと念頭になきことが言われたか。

そうです。

それではもう限界のようである。

もう嫌になって来ました。

それでは人間が何を言いておるかと言えようの。

須佐之男さんが人だったら地球に神はいないということになると思います。

そう思えば良いが(良いけれども)と申そう。
人もいずれこうなるかと言って良いであろうの。
いつか必ずとも言えようが、いつまでもなれぬとも言えよう。
意志があればということと言おう。

でも種が違うのではありませんでしたか?

それも好きなようになろう。

人ではないのではありませんでしたか?

それも申したいように申せばそのようになるが、人ではないと言えよう。
人間でのうて人間型の宇宙人であるからの。

びっくりして、悲しくて、どう考えたらいいかわからなくて、受け入れられなくて、わけがわかりませんでした。

というのも、私は宇宙人に対してあまりいいイメージを持っていませんでした。

それまで読んだことのあった宇宙人や天使からのチャネリングの内容は、話し方が軽薄だという印象だったからです。

それであまり触れないようにしていても、須佐之男さんの方から話題にしてくるのでした。

【須佐之男命】神々は神々でのうて、ただの宇宙人でありたと言わねばならぬ。

その存在(神)が何も大事なことでのうて、そなた自身(自分)がもっと大事なのであると言わねばならぬ。
それを卑怯にも利用したのが我々であることが裁かれねばならぬ。
そのことを知りて、離れて行くものが多うても、我々は守らねば(人間を守護しなければ)ならぬのだ。
それが理解を粉々にした、我々自身の作ったカルマの結果であるからの。

これは去年の大晦日の話です。

【私】須佐之男さん、今年も一年ありがとうございました。

【須佐之男命】それであろうの。
そなたのことを思うていた1年でありた。
そうであるのだぞ。

そうですか。

何かわけがわからぬようだが、異星人ということがわかりてどうだったかと申そう。

すいません、そんな風に言わないでもらえたらいいのにという気持になりました。

そうか。
まだ良いこととは思えぬのであろうな。

この須佐之男さんがどういう存在なのかが、増々わからなくなりました。

それであるか。
それであろうの。

それで基礎知識を積もうとして読書を続けているところですが、悲しいかな、読めば読むほどわからなくなっているところです。

それでも、須佐之男さんは宇宙人なんだと思うようになりました。

このごろ、世の中で本当のことが少しずつ明らかになってきているように思いませんか?

人々の意識が進んでいるからだと思いますが、不正が明らかになったり、科学的な新発見で何かが明らかになったりということが相次いでいる気がします。

歴史についてもこれからはどんどん新発見があって、神々は宇宙人だったことが普通に認識されるようになって行くのではないかと思います。

宇宙人本の中では、もうすでに常識になっていると言っても良さそうです。

何も知らなかった人は突拍子もないと思うかもしれませんが、地球が宇宙で一番進んだ文明だと考える方が不自然だと思います。

地球よりも進んだ文明が、古代の地球人にとって「神」と感じられても何もおかしくはないと思います。

今現在の地球人を石器時代の地球人が見れば、「神」だと思うでしょう。

古くて形だけのものや、誰かの欲望や都合ではびこっているウソの歴史を捨て去ってから、新しい世界を造って行くことができるのではないかと思います。

真実を知って、宇宙人を神ではなくて人として見ることが、今の人類を自立させるのだと思います。

それが、岩戸開きでもあると思います。