神仏とのテレパシー

20151230

公園で咲いていた、ロウバイです。

明けましておめでとうございます。

暖かくて穏やかな、過ごしやすいお正月になりました。

今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

今年の大河ドラマは真田幸村のようで、父方先祖の在所が上田なので見ようと思っていました。

さっきテレビを何となくつけていたら、大河ドラマがらみで地元の親戚らしき人が出てきて、かすかに父に似ていたりもしてびっくりしました。

こいつぁ春から縁起がいいのかな~?

お正月なので、初詣に出かける人もいるのではないかと思います。

前回の記事では、私は霊や霊界のことよりも神仏の方が先にやり取りできるようになって、神仏の存在の方がわかりやすかったように書きました。

霊の存在は、まるでそこに人がいるようにかなりはっきりとした気配として感じました。

神仏の存在は、気配はありません。

けれども、ものすごく大きな心の中にすっぽり入り込んだような感じがします。

自分の周りを、神仏の心がとり囲むような感じです。

その広さは、半径5メートル位かな?

そして、神仏の心と自分の心が重なり合って、神仏の気持が自分の気持として感じられます。

だから、自分が思っているのか相手が思っているのかよくわからない感じです。

でも、そんなことを自分が思うわけがない、こんな感情は自分の感情として感じたことがないというような感情を感じます。

神仏の感情は何かものすごい輝きのようで、高貴で、優しく、温かく、憐れみ深く、安らかで、その神々しさ、繊細さ、快さに耐えきれなくなって、ただ涙が流れるしかなくなってしまいます。

まぶしくて目が開けていられないような感覚が、心に起こるような感じです。

頭の中は真っ白になって、空でも飛んでいるような気持になります。

ついさっきまで考えていたことは全て吹き飛んで、洗い清められて、気分はさっぱり爽快になります。

そしてその感じが、神前を退いてもしばらく続きます。

数時間のこともあるし、次の日まで続いていることもあります。

しかしまた、この感覚を忘れてしまうとなかなか思い出せなくなるのも、ひとつの特徴です。

自分はその感覚を感じてこう思ったという、自分の反応しか思い出せなくなってしまいます。

高い波動のものというのは、いつまでも憶えていられないようです。

それが高い波動を見分ける材料にもなります。

だから人は神仏に恩を受けたことがある人でも、簡単に忘れてしまうんですね。

こんな感覚が、普通の生活の中で何もなくて起こるはずがないのに、神社仏閣に参拝すると時々起こりますから、これがどういうしくみになっているのかはわからずとも、私としては神仏の存在は早くから確信を持つようになりました。

私は、たくさんの人が神仏とのテレパシーを感じられたらいいのにと思っています。

私が指導させていただいている祈ららの「カルマ浄化の祈り」をはじめられた方は、強弱はいろいろですが神仏からのサインや言葉を感じてくださる人が多いのでうれしく思っています。(祈ららの祈りの体験談はこちらにあります

それにこのごろは、このブログの検索語句で、毎日のように「神社 涙が流れる」などと検索されているので、神仏からのテレパシーを感じる人が着実に増えていることがわかり、これからは増々そういう人が多くなって行くだろうと思います。

神仏への祈りが神仏の心を打つものであれば、神仏は必ず答えてくれるものです。

目の前に愛深い神が座ってこちらを見つめているとしたら、何を話しますか?

本当にそうなんですよ!

本気でそう考えて話しかけてみられると、今までとは違う参拝になるかもしれないと思います。

私はいつでもそうしています。

今日は、お正月らしい記事になって良かったわ~。