ほめず、叱らず、共感してあげる

20151207-2

子供に対して、ほめたり叱ったりしない方が良いということを、以前に書きました。

※ 以前に書いた記事は「子供を尊重しない親は、ほめて叱って「~しなさい」と言う」です。

ほめることも叱ることも、子供を尊重していないからできることだからです。

相手を尊重していたら、ほめたり叱ったりはできません。

尊重されずに育った人は、自分や人を尊重する仕方がわからずに人生が苦しくなってしまいます。

※ 自分や人を尊重することについては、「自分を愛し、尊重し、認める」 「自分を愛し、尊重し、認めて親離れする方法」などをお読みください。

子供を尊重していたらほめないで叱らないのなら、一体どういう接し方をするといいのでしょう。

それは、共感してあげましょう。

何かとてもいいことができた時、いい作品が作れた時、「いい子だね」「立派だね」とほめられるとどんな気持になりますか?

心のどこかにちょっと、緊張を感じませんか?

もしもほめられるのではなしに「気持がいいね」「思ったように作れて良かったね」と言われたら、どんな気持になりますか?

言われた後に気分がいいのは、どちらでしょう。

上からほめられるのではなくて、隣から共感してくれた方が心が温まってうれしくありませんか?

「良かったね」はかなりいろんな場面で使えますが、でもいつも「気持がいいね」「良かったね」だけでは言葉が足りない感じがします。

相手の気持を代弁してあげるように考えてみましょう。

私は犬がうれしそうにしていたら「うれしいねえ」とか「うれしいの」と言っています。

犬が何か見つけたら「見つけたの」と言っています。

犬が嫌そうにしたら「嫌だったね」などと言っています。

「いい子」と言うのは親の価値基準に子供を従わせたいだけで、子供自身の気持ではありません。

子供自身にとって「うれしい」や「良かった」といういいことに共感してあげましょう。

困ったことは「困ったね」、悲しいことは「悲しいね」、苦しいことは「苦しいね」、失敗したら「失敗したね」、嫌なことは「嫌だね」。

でも子供の様子を見ていて素直に「すごい!」「立派!」と思うことはあると思います。

それを無理に押し込めようとすると、今度は自分がストレスになりますから、自分の素直な気持として表現してもいいんじゃないかと思います。

それで時々、犬に「すごいねえ」と言っています。

親が子供に共感してあげると、それは子供を尊重し、承認したことになります。

子供は、自分は尊重されている、認められている、共感してくれる仲間がいるという感覚を持って安心します。

すると自分は尊重される人間だ、認められる人間だ、共感してくれる仲間がいる人間だと自然に思って育ち、自分を尊重することができるようになります。

そして親が自分にしてくれたように、人を尊重し、認め、仲間になる人になります。

相手に共感する方法は、子供や動物相手だけではなくて普通の人間関係でも同じようにすると相手の人に喜ばれますから、いろんな人相手にやってみてくださいね。

20151207-3

ナッツは自分が小さいことを気に入っていなくて、大きい犬がいいと思っています。

「ナッツは大きい犬だといいんだね。でも小さい犬を探してたんだよ」

「そうなんだ。だから(小さくても)嫌だと思わなかったんだ」

「ここのうちは狭いから、大きいと来てもらえなかったんだよ。だから小さくてちょうど良かったんだよ」

「そうなんだ。ちょうど良かったんだ」

とうれしそうでした。