テロが起こって喜ぶのは誰?

20151028-2

公園で咲いていた、ツワブキです。

テロが起こると、いつも「テロには屈しない」で終わりですが、それでみんな納得しているのかなあと不思議です。

暴力には暴力を?

テロが起こったことに対するショックで、まともな判断ができなくなっているんじゃないのかと思います。

なぜテロが起こらない世の中にしようと思わないんだろう。

子供が万引きしたら、親は自分が何か良くない接し方をしたのだろうかと反省するものじゃありませんか?

今のような世の中はどこかに重大な問題があるんじゃないかと考えるのが、真摯な姿勢ではありませんか?

デーヴィッド・アイク「大いなる秘密 爬虫類人」を読みはじめましたら、ちょうどいいタイミングで、テロについて書いてありました。

「今日、全世界は金融・ビジネス・コミュニケーションのグローバリゼーションを通じて、邪悪な少数の者たちによって完全に支配されているのが現実である。

とはいえ、昔から彼らによる大衆支配のメソッドは常に同じであった。

すなわち「大衆を無知の状態に保て。人々を互いに争い合わせて戦争の恐怖を生み出せ。分割して支配せよ。一方で重要な知識は独占して秘匿せよ」である。」

「警察や保安局や軍隊の力を強化したいときは、テロなどの暴力犯罪を頻発させて、人々のほうから治安の強化を求めてくるように仕向ければよい。

この方法を使えば目的達成は朝飯前だ。

略奪や爆弾テロの恐怖に取り憑かれた人々は、自らの身の安全と引き換えならば、あっさりと自由を明け渡してしまうだろう。」

日本国内も世界も今、こうなっていませんか?

テロが起こって喜ぶのは誰でしょう。

テロで正当化した戦争でお金が儲かる人や、ここで言われている大衆を支配したい人たちでしょう。

だからテロや紛争を起こしておきたいので、根本的な解決をしたくないんじゃないでしょうか。

そこをつつかれると困るので、何も説明なしにただ「テロに屈しない」とだけ言っているように見えます。

首脳たちが「テロには屈しない」というのは、「テロが起こらない世の中にはしない」という合意だと思います。

それでは大衆の中のたったひとりの自分は、どうしたらいいのでしょう。

無意識的というのは、常識や親や教育の言いなりになっている生き方のことです。

ひとつひとつの物事を本当にそれでいいのか、自分で感じて考えて判断しましょう。

この社会が存在しなくても何万年前でも何万年先でも、それがいいことだと思いますか?

すると、いろんなことがおかしいことに気づくと思います。

大衆支配をしたい人たちは、大衆からエネルギーをもらっていて大衆を必要としています。

だから、意識的になった人たちがそっぽを向けば支配することもできなくなってしまいます。

みんながそんな支配者を選んでしまわないように、自分の毎日の生活の中でよく感じて考えて判断することを習慣にしましょう。

※ 自分で感じて考えて判断できるようになるには、心の進歩成長カテゴリーをお読みください。