公園で咲いていた、ノウセンカズラです。
浄化浄化と言うけれど、いったい浄化って何だろうと思いませんか?
それは食器洗いや洗濯やそうじと同じ、きれいで汚れがなくなることです。
食器や着るものや部屋の中ではなくて、精神的霊的にきれいで汚れがなくなるのを浄化と言っています。
精神的というのは心と言っていいと思います。
心がきれいで汚れがないという状態は、心に恐怖や怒りや悲しみやひっかかりや悩みやこだわりや執着やコンプレックスやゆがみや嫉妬や不満や疲れや依頼心や怠惰やその他もろもろのネガティブなものがないことです。
親切であったり善良であったり優しかったりというのとはまた別です。
親切であったり善良であったり優しかったりはそうしようと思ってすることができますが、それよりももっと深いところに汚れがないのが浄化できている状態です。
霊的な汚れは、カルマと言うことが多いと思います。
カルマは、自分が過去世~今生の間に発した心の汚れがまだ浄化されずに残っているものです。
今生のカルマは、今現在の精神的な汚れのことになります。
浄化ができると何かいいことがあるのだろうと、みんな漠然と思っているみたいです。
運勢が向上して、ラッキーなことが増えるのではないかと思って、浄化という言葉にひかれるのではないかと思います。
浄化ができてしまえば、確かにそうなります。
でも浄化がどういう風にできるのかということは、あまり知られていないかもしれません。
浄化というのはそうじ洗濯なので、汚れを落とします。
石けんや洗剤で汚れを落とせば、さっさときれいになって気持がいいですね。
それと同じように浄化の力があるものを持てば汚れがさっと落ちてきれいになると考えると、まあそうなのですが、心の汚れが落ちる感覚は少し違うかもしれません。
心の汚れというのはただ表面についているだけではなくて、根を下ろしているという感じです。
心の汚れは草や木が生え放題に生えた土地のようになっていて、汚れ落としをしようとして引っ張ると痛みます。
それでも、波動の高いものにとってはその汚れが不自然なので、ぐいぐい引っ張らずにいられません。
だから浄化すべきものが大きくてたくさんある人にとっては、パワフルな浄化というのは苦痛です。
心に浄化すべき汚れや問題やカルマをたくさん持っている人程、自分で何もしないで浄化や開運にひかれる傾向があります。
それは、自分には浄化が必要だと霊的にわかってひかれているのだろうと思います。
でもそういう人程、浄化をすると汚れが表面化してトラブルだらけになります。
それがよく言われる、準備ができていなかったということです。
浄化ができるようになるためには、もうひとつ前の段階の浄化、自分の汚れにひとつずつこつこつと向き合って行く気持になることができてから、その次の浄化に進んで行くことができるようになります。
※ カルマ浄化の方法は、カルマ浄化の祈り指導で指導させていただいています。
※ スピリチュアルレッスンでは個別のメールによるワークで、インナーチャイルドを中心に様々な内面の問題に取り組んでいただきます。