霊的感覚の感じ方

20141110-2

ブログの内容を読まれていると、自分はそんなことは全然感じないなあと思われる方もいるかもしれません。

もしかしてそういう人の方が多いかも?

アンケートで霊感を感じるかどうかを聞いた時には、毎日感じる、時々感じる、感じたことがあるを合せると半分位かなあと思ったので、半分位の人は霊的な感覚がわからないと思って読まれているのかもしれませんね。

霊的な感覚は、いつもの普通の感覚でいる時に有無を言わせずやって来ることもありますが、自分が感じたい時に感じる為には、感じやすい状態に自分で努力してなる必要があります。

その努力を努力とは感じないでするするとできているようになっているか、なりたくないのになってしまうのが、霊感の強い人です。

現実的なことをしている時には、現実頭になっているので、霊感はあまり働きません。

一日中現実頭でいる人は、霊感が働く暇がない状態です。

霊感を感じたいなあと思ったら、霊感頭にならないといけません。

霊感頭がどんな状態かと言うと、映画やドラマを見ている時とか、小説を読んでいる時とか、ほとんどしっかりと考えないでぼんやりといつものことをいつものようにやっている時とか、寝ようとしている時、これから起きようという時などです。

この状態にわざわざなるには、少し意識してぼんやりする必要があります。

だから先祖供養でも神社参拝でも、これやって次にこれやってああしてこうしてと手順をしっかり進めているだけでは相手の反応を感じている暇はありませんから、何も感じなかったとなって当り前です。

そんな風にしていて、何も感じないと言っているのではありませんか?

そもそも祈りというのは、霊感頭になりやすいようになっています。

特に神社の構造というのは、そうなるように非常に素晴らしく設計されています。

鳥居をくぐると、現実頭から少し霊感頭になります。

これがなぜかと言うと、人の心は物事を象徴で理解するからです。

鳥居、扉、門などというのはみんな、後ろの世界から前の世界へ入る象徴として心は理解します。

後ろの世界は現実世界、前の世界は神社の中なのだから、この場面に刺激を受けた心は、自動的に少し霊感頭になります。

このことが神社の中へ進むと、連続して何度も起されます。

複数の鳥居をくぐる度に、少しずつ少しずつ現実頭から霊感頭に変化して行きます。

鳥居の後には参道があり、奥へ奥へと足を進めると霊感頭がさらに深く深くなって行きます。

霊感頭の深まりは、神社からすると浄化ということになります。

清浄な神前へ来るのに、なるべく世間的な汚れは落としてからということで、世間との遮断を鳥居や参道などでくり返しています。

こういうことを昔の人が意識して作ったかどうかはわかりませんが、そこは鋭い感受性でこうするのがいいと感じたのだろうと思います。

芸術家は、作品作りの中で同じように理由はわからなくてもいい感じなことをしています。

参道の中で流れを渡る場合もあります。

これも今までとは別の世界へ渡るという象徴でもありますし、世間的な汚れを落とすという浄化の象徴でもあります。

さらに参道を歩いて神前に出ると、鈴を鳴らしたり柏手を打ったりしてここでも浄化をして別世界へ入り、霊感頭が十分に出来上がった状態になるというわけです。

そこからさらに、よく気持を落ち着けて祈りながら、現実頭ではなく霊感頭に深く入ってでご祭神に波動を合わせて行きます。

祈ららの祈り はこれがしやすいようになっていますから、うまく霊感頭になってご祭神の心に波動を合わせることができて様々なことを受け取られる人が多くなっています。

神社での参拝そのものに不慣れだと、現実頭ばかり働いて霊感頭にもなりにくいでしょうから、まずは慣れが必要かもしれません。

人とぺちゃくちゃおしゃべりしながらでは霊感頭にもなりにくいと思いますから、本気の参拝はひとりの方がいいだろうと思います。

鳥居をくぐるところからひとつひとつのことをゆっくりと心で味わいながら、だんだんと霊感頭になる自分を感じるようにして参拝してみてくださいね。

写真は、公園の木々が色づいてきました。