霊の感情を感じると、供養をしながら涙が流れてしまうことがあります。
供養の時の涙は、普通は喜びの涙です。
悲しみの涙はあまりありません。
それは、そんな相手とは波動が合わないので、感じることができないからです。
霊の世界は波動の世界で、共感できなければ感じることができません。
ですから、こちらで感じることができる霊は、お互いに友好的な霊です。
それで、涙が流れるとしても、こちらに対して感謝や喜びの気持を持っている時だけになります。
たとえ悲しみの涙だったとしてもそれは供養する人に対してではなくて、供養する人に心を許したから見せる素顔です。
ただ、これは供養の場合です。
供養でないような、霊に対して攻撃的な気持で接することがあれば、どんなことになるかは私には経験がありませんからわかりません。
今までの供養はすべて、素晴らしい歓喜で終わりました。
霊界の基本的な性質のひとつに、うそがつけないということがあります。
誰でもありのままでいるので、感情はこの世の人よりもはっきりして激しい状態です。
ですから喜びの感情も強くて、供養している方としてはびっくりする程感激屋で、よく泣いてくれます。
だからきっと、供養を始めてから霊の感情を感じるようになった人は、ちょっとしたことで泣くので自分はどうなってしまったのだろうと不思議に思うかもしれません。
でもそれは、霊の感情を感じている状態です。
供養する人の気持がうれしくて、感激の涙を流しています。
その時には、感じようとすれば霊の気持がそのまま心の中に感じられるはずですから、熱い思いを感じてあげてください。
そしてお互いを想い合う絆を感じて、心温まってください。
でも相当慣れるまでは、今流している涙が本当に霊のものなのかということを確かめたい気持になって、かえって霊の気持を感じないようにして勝手に涙が流れているに任せたくなるかもしれません。
この涙が霊のものだとしっかりと信用できるようになったら、霊の感情に身をまかせるとさらに感情を共有した感激の供養になると思います。
この人が歌って、枯れ葉がジャズスタンダードになったみたい。
写真は、公園のタイワンハゼです。